「教科書検定は機能しているか」【手奇塾】第8回は、「教科書は、万世一系も縄文時代まで遡ることも書かないです。
では、大和の国とはなんだったのでしょうか。記紀に出雲の国の国譲りの話や、天孫降臨の話、神武天皇ご東征の話がでてきます。記紀には初代天皇がご即位された年が、今から2681年前の1月1日と書かれています。新暦の1月元旦です。126代今上陛下からさかのぼりますと、誰かが初代天皇様で、縄文時代の終わりごろまでさかのぼります。ですから日本は、ダントツで世界一古い国なのです。今では大勢の研究者が10代崇神天皇の実在を、認めていますから、9代さかのぼった、初代神武天皇の時代は、紀元前250年頃と考えることもできるのではないでしょうか。紀元前660年も250年も大きな違いはないでしょう。では天孫降臨という、高間が原のあまてらすおおみかみが、地上を支配されたのはいつごろでしょうか。初代天皇からアマテラスオオミカミまでさらに5代遡るとして200年くらいとしますと、やはり長い長い縄文時代の終わりころとしかいいようがありません。その天孫降臨の少し前に、出雲の国のオオクニノヌシの神の国譲りがあるわけです。いうまでもなく、今上陛下のご先祖は、アマテラスオオミカミです。出雲のオオクニノヌシの神はオオミカミのド親せきです。縄文時代の終わりころ、アマテラスオオミカミの命令で、出雲の国が支配下にはいり、その後おおみかみのご子孫が、高天原をお出になられて、各地を支配されたのでしょう。でも従わぬ小さな国もいくつもあったかもしれません。ですから、神武天皇のご東征とか、弥生時代に入ると、12代影行(けいこう)天皇の第三皇子、ヤマトタケルの尊の遠征がありました。古墳時代の、21代雄略天皇の時代で、国内統一が終わったのでしょう、朝鮮半島の新羅まで遠征しています。このようにみていきますと長い縄文時代の終わりころ、日本列島の関東から九州まで統一行動が始まり、統一が完了したのが古墳時代の中頃ということになります。これぐらいのことは教科書に書いて教えるべきだと思いますが、文科省は許さないのです。これは、平成12年から13年にかけて出雲大社の境内から発見された巨大な柱。3本1組となったスギの大木です。この柱は、鎌倉時代に造営された本殿を支えていた柱である可能性が極めて高くなったそうです。この柱の太さから計算されて復元されたのが、写真の神殿です。前に述べました、出雲の国譲りには、巨大神殿の話が出てきます。アマテラスオオミカミの命を受けたタケミカヅチ(茨城県・鹿島神宮に祀られている)から「国を譲ってほしい」といわれ、大國主神は、引き換えに天皇と同じ立派な宮殿をつくってほしいという条件を出した。それができればそこに静かに鎮まると。記紀にしるされた出雲の国譲りの話にでてくる伝説の神殿も、もはや神話と言っている場合ではなくなりました。天照大神は今伊勢神宮に祀られていますが、出雲に出かけたタケミカズチの神は茨城県鹿嶋神宮に祀られています。そして高天原という地名も鹿嶋市にあります。天照大神も高天原におられたのではないでしょうか。天照大神やその子孫の方々は都を高天原から支配しやすい地域にいろいろ移されたのかもしれません。初代神武天皇のときに大和に落ち着いたと考えてもよいのかもしれません。このようなことが神話としてではなく、やがて遺跡の発掘とともに明らかとなって、教科書に載るようになるといいですね。