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編集者とライターって何が違うの?
ぜんぜん違うようで………そんなに違わない?
「編集者/ライター」という表記をよく見かけますし、僕も使います。でも、実際のところ編集者とライターは別の職業です。
どちらも“文章に携わる人”ではありますが、その仕事内容や責任範囲は大きく異なります。
編集者
本や雑誌、Webメディアなどの「企画・進行管理」をする役割です。ライターに原稿を依頼したり、全体のトーンや方向性を決めたり、スケジュール管理をしたり。作品を世に出すために必要な「調整役」というイメージもありますが、アウトプットへのコミットメン具合はまちまちで、映画やドラマでいえば「監督」みたいなポジションであることも。
ライター
記事や原稿を実際に「書く」ことが主な仕事です。編集者やディレクターからのオーダーに応じて執筆するのが基本ですが、文章の企画立案から取材、構成、執筆までを自分で行う場合もあります。
でも、なぜ編集者とライターがセットで存在するのでしょうか?
というか、ライターだけで十分ではない理由とは?
筆者プロフィール:照沼健太
MTV Japan、株式会社インフォバーンでの勤務を経て独立。2014年から2016年末までユニバーサル ミュージックジャパンのWEBメディア『AMP』の企画・立ち上げおよび編集長を務め、2018年にコンテンツ制作会社『合同会社ホワイトライト』を設立。テレビ東京やNetflixのメディア運営、レディオヘッドら数々のアーティストのCD封入解説文、HIKAKIN、米津玄師、押井守、藤本タツキなどのクリエイターや多くのビジネスパーソンの取材を担当。2023年末からはYouTubeチャンネル「てけしゅん音楽情報」を運営(2025年2月末時点でチャンネル登録者数約5万人)。
雑誌を例に出すと「編集者」の必要性がわかりやすい
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雑誌は定期的に発刊するため、その号ごとの特集企画を編集者が考え、複数のライターをアサインする形が一般的です。
もし文章が上手な編集者だったとしても、テーマによっては専門外の場合も少なくないでしょう。
例えば僕もお世話になってきた「BRUTUS」や「Pen」のような雑誌は、各号で大きく特集が変わってきます。「ドラえもん」特集もあれば、「名建築」の場合もあり、「イタリア料理」や「ホラー映画」のこともあるでしょう。
さらに、雑誌の誌面を埋める量の文章を一人で書くことは、物理的に不可能。
また、書籍では一冊すべてを担当編集者が企画し、著者(ライター)と長期的に向き合って原稿を何度もやりとりしながら形にしていきます。
そんな厳密な分業制がある一方、Webメディアでは編集者とライターの境界が曖昧になる傾向が見られます。限られた人員で頻繁に記事を更新するため、編集者が自ら記事を書くケースや、ライター自身が編集的視点で構成を組み立てて納品し、編集者はそれを校閲するだけという場合も多く見られます(というか、僕自身、これまで同僚や同業者の仕事を見て「それは編集者の仕事じゃなく、校閲ですよ」と思うことが少なくありませんでした)。
そもそも編集者とライターは同じだった?
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ここまでの流れ的には「編集者とライターは別々であるべき」と読み取れるかもしれません。
しかし、歴史を振り返れば、編集者とライターの仕事範囲は曖昧でした。それがやがてハッキリと分業されるようになり、再び現代では曖昧になりつつあります。
まず、日本における編集・執筆の源流は、江戸時代の「版元」の存在にまでさかのぼるといわれています(確実に確認されている史実としては、京都の本屋新七が商業出版を創始したとされています)。
版元は今でいう出版社のように、どんな本を刷り、どの絵師や作者に依頼し、どのように販売するかを考えるプロデューサー的役割を担っていましたが、現代のように明確に「編集者」「著者」と職能分化していたわけではなく、版元自身が編集・校正もし、執筆者自身も挿絵の指示を出すなど協働して本を作っていたとされています。
明治以降は欧米から近代的な新聞・雑誌の仕組みが輸入され、報道を担う「記者」と記事の方向性や紙面構成を整える「編集者」の仕事が確立。大正・昭和にかけて、雑誌や書籍が黄金期を迎えた時代には、多くの優秀な編集者が名作家を見いだし、ライターとともに新たな文化を切り開きました。
戦後は紙の流通が安定してさらに出版産業が伸び、高度経済成長期には週刊誌や漫画雑誌などの爆発的ヒットが生まれ、編集者とライターの需要が大量に生じることになります。
ところが、1990年代後半からはインターネットが普及し始め、情報発信の在り方そのものが大きく変わりました。従来は出版社や新聞社が「情報を選別して世に出す」という立場を独占していましたが、ご存知の通り、Web上では誰もが自由に文章を発信できるように。
その結果、編集者の「門番」的機能が相対的に弱まり、さらにはSNSや動画プラットフォームによっては状況が加速。2025年現在、もはや一般的には「編集者=動画編集者」くらいのイメージになっていると言っても過言ではありません。
編集者は今も健在。むしろその職能はさらに重要になっていく
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SNSやnoteのような書き手が直接発信できる文章プラットフォームの普及、そして動画メディアの爆発的成長によって、編集者の影が薄くなっているのは確かです。
しかし、僕は編集者のスキルはこれからさらに重要になっていくと考えています。
その理由は
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