褒められない。
幼少期、親に褒められた記憶がほぼない。
確実に褒められたという記憶が一つ。
おべっかで褒められたと認識しているのが一つ。
当時はおべっかで褒められたと気付きもしなかったが、大きくなってあれはおべっかだったのだと認識したのは「字が上手!」という言葉だった。いつもなら母がそれをやるのだが、遠足に持っていく真新しいリュックサックに小学校一年生の私が自分で名前を書いた時だった。
言い出したのは兄だった。習いたてのひらがなを母のように上手に書けないことが悔しくてもどかしくて「なんかやだ…」と落ち込んでいた時「上手だよ。うまいうまい!」と兄が言ったのを皮切りに母が「上手上手。上出来上出来」と言ってくれたのだった。
めったに褒められるということがなかったので、私はそれを鵜呑みにして一気に気分が上がり顔はニヤニヤ、体はクネクネとしてしまったのを覚えている。
確実に褒められたと記憶しているのは、母と二人で母の故郷へお墓参りへ行った時だった。遠方なので電車や新幹線を乗り継ぐ。
私は頭も良くないしお勉強だって大嫌い。時計が読めるようになったのもクラスメイトよりずっとずっと遅かったし、お調子者で空気の読めない子供だったが公共の場ではマナーを守ろうとする子供だった。
いや、単純に母に叱られないようにおとなしくしているような子供だった、と言った方が正解かもしれない。
タクシーでJRの駅へ、そこから新幹線が乗れる駅まで各駅停車の電車で行き、始発の新幹線をホームで母と待っていた時だった。「テカリちゃんは本当におりこうさんにしてるね」と小学2年生の私の目を見て言った。そして続けて「退屈なのにワガママ言ったりしないで偉いね。これからまだまだ長く新幹線に乗っていなくちゃいけないし退屈しないように何か買ってあげるよ」と言ったのだ。
褒められることはおろか、ご褒美まで買ってもらえるなんて初めてで嬉しくて嬉しくて飛び跳ねるほど嬉しくて、ホームにあるKIOSKでご褒美を物色した。
KIOSKには子供が楽しめるものなんてほとんどなくて、唯一アニメで少しだけ見たことのある“あさりちゃん”の漫画が数札売っていて、私はそれを手に取り「これがいい…」と小さい声で母にお願いした。
「これ?1巻じゃなくて3巻だけどいいの?」と母に聞かれて「うん、これがいい」と言って買ってもらったのだった。漫画なんてほとんど興味がなくて、特段欲しいものでも無かった。むしろKIOSKに目ぼしいものなんてほとんどなくて、その漫画が唯一“マシ”なものだっただけだ。
でも当時の私はなんでも良かった。もしあさりちゃんが無かったとしても、前列にならんでいた3個入りのミカンでも良かったのだ。とにかく母からのご褒美という初体験に心は満足だっのだった。
──── つづく ───