【登山の歴史】西洋から日本へ 〜娯楽としての登山はいかにして始まったのか〜
山で会ったらこんにちはー!低山ハイカー英武ゆうです!今回は少し毛色の変わったお話として、現代の私たちが楽しんでいる娯楽としての登山が、どのようにして西洋から日本に伝わってきたのか、その歴史についてご紹介していきます。
山に対する認識の違い:西洋と日本
西洋における山のイメージ
中世のヨーロッパでは、山は魔女や怪物が住む恐ろしい場所とされていました。特にキリスト教圏内では、山や自然を崇拝することは信仰を曖昧にしてしまう危険な考えとして、あまり好ましくないものとされていました。
日本における山の位置づけ
一方、日本では山は神様が鎮座する神聖な場所として認識されていました。実は、山の数を数える単位「座」は、神様が座っているという意味に由来しています。日本人にとって山登りは、山岳信仰や修験道といった信仰の一環として行われる修行であり、娯楽としての性質は持っていませんでした。
ルネッサンスがもたらした変化
人間中心の思想へ
14世紀から16世紀にかけて、ヨーロッパではルネッサンスという大きな文化運動が起こりました。この時代、人々の考え方は神様中心から人間中心へと大きく転換していきます。人間の理性や個性を尊重し、知的探求を重視する風潮が生まれたのです。
山への関心の高まり
この思想的変化により、山や自然現象に注目する人々が現れ始めました。特に以下の2つのグループが山に向かうようになります:
科学者たち:地理学者や地質学者が、山の形成過程や植物、動物、気候などを研究するために山に登りました。
探検家たち:新しい地理的発見や貿易路の開拓のために山岳地帯を探索しました。これは国家からも支援される重要な事業でした。
近代登山の先駆者たち
コンラート・ゲスナー
1516年から1565年にかけて活動したスイスの博物学者で、初期の登山家として知られています。医学、植物学、言語学など多岐にわたる知識を持ち、科学的調査のための登山だけでなく、純粋に山を楽しむ登山も行っていました。
ゲーテとルソーの影響
18世紀から19世紀にかけて、著名な文学者や哲学者たちも山に魅了されていきます。ドイツの詩人ゲーテは、アルプスでの体験を通じて人間の感情や精神の豊かさを表現し、フランスの哲学者ルソーは、自然の中にこそ人間の本来の自由や平和があると説きました。彼らの作品により、それまで恐怖の対象だった山が、美しさと楽しみの対象として認識されるようになっていきました。
アルプス観光ブームと登山の普及
18世紀末から19世紀にかけて、科学者たちの研究レポートを通じて山々の美しさが広く知られるようになり、裕福な層の間でアルプス観光がブームとなります。産業革命により経済的に豊かになった人々、特にイギリス人が、アルプスでの未踏の地の開拓を始めていきました。
1857年には世界初の山岳会である英国山岳会が設立され、これをきっかけにヨーロッパ中に登山者が増えていきました。19世紀には「アルピニズム」という、山に登ること自体を目的とする登山文化が発展し、アルプスの39座のうち31座がイギリス人によって初登頂されました。
日本への伝播:ウォルター・ウエストン
この西洋の登山ブームが日本に伝わるきっかけとなったのが、イギリスの宣教師ウォルター・ウエストンでした。英国山岳会のメンバーでもあった彼は、1888年に宣教師として来日し、趣味として日本の山々に登り始めます。
ウエストンは登山を通じて日本の自然の素晴らしさを広く世界に紹介し、日本山岳会の設立にも関わりました。日本人に山を登る楽しさを教えた功績から、「日本近代登山の父」と呼ばれています。
このように、現代の私たちが楽しんでいる娯楽としての登山は、西洋から伝わってきた比較的新しい文化なのです。より詳しい解説は、YouTube「低山ハイカー英武ゆう」チャンネルでご紹介していますので、ぜひチャンネル登録をお願いします。
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