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日本武尊(ヤマトタケル)の物語:山の神々と戦った英雄

山で会ったらこんにちは!低山ハイカー英武ゆうです!

今回は山岳信仰にまつわる重要な人物、日本武尊(ヤマトタケル)についてお話ししていきます。

※本稿では古事記と日本書紀に描かれた物語のうち、より物語性の豊かな方を中心にお話しします。諸説ありますので、一つの見方としてお楽しみください。

波乱の幕開け:双子の兄弟の物語

日本武尊の物語は、双子の兄弟の悲劇から始まります。兄は大碓命(オオウスノミコト)、弟は小碓命(オウスノミコト)という名でした。「大」と「小」の違いこそあれ、両者とも「ウス」という字が使われているのは、父である景行天皇が双子の誕生に驚いて「うっ」と声を上げたことに由来するという説があります。

この物語の発端となったのは、父・景行天皇の女性関係でした。天皇には10人ほどの妻がおり、80人もの子どもがいたと言われていますが、さらに美しい姉妹がいるという噂を聞くと、すぐさま大碓命に「その姉妹を連れてこい」と命じました。

ところが、大碓命は姉妹に一目惚れしてしまい、自分の妻としてしまいます。当然、父に正直に報告できるはずもなく、まったく別の女性を連れて行くという大胆な策を取ります。しかし、この嘘はすぐに露見。大碓命は朝廷の集まりに顔を出さなくなり、やがて姉妹との間に子どもまでできてしまいます。

事態を収拾しようと、景行天皇は「大碓命のことは許そう」という意向を、弟の小碓命(後の日本武尊)に伝えようとします。しかし、この言葉を「兄を殺せ」という命令と解釈した小碓命は、あっさりと兄を殺害してしまいます。

遠征への旅立ち:女装した英雄

実の兄を躊躇なく殺害した息子の行動に恐れを抱いた景行天皇は、小碓命を遠ざけるため、九州の熊襲征伐を命じます。この遠征で、小碓命は驚くべき策を実行します。

伊勢の祖母から借りた着物で女装し、熊襲の新築祝いの宴に潜入したのです。この時、まだ10代だった彼は「オオクナ(大和の男の子)」と呼ばれていましたが、熊襲を打ち破ったことで「ヤマトタケル(大和の猛者)」という名を得ます。興味深いことに、この男らしい名を得た時、彼は女装していたという逆説的な状況が生まれました。

戦略家としての活躍

熊襲征伐の後、日本武尊は各地の山の神、川の神、海の神を次々と従えていきます。特に出雲健との戦いでは、巧妙な策を用います。出雲健に近づき、互いの剣を交換することを提案しますが、実は日本武尊の差し出した剣は木で作った偽物でした。本物の剣を手に入れた日本武尊は、偽物の剣しか持たない出雲健を倒してしまいます。

この戦績を誇らしげに報告する息子を見た景行天皇は、さらに東国の平定を命じます。この時、伊勢の祖母は火打ち石と共に剣を授けます。この剣が後に「草薙の剣」として知られることになる運命の品でした。

草薙の剣の由来と最期

東国への道中、ある事件が起きます。地域の住民から悪しき神の退治を頼まれた日本武尊でしたが、それは罠でした。野原に火を放たれた日本武尊は、祖母から受け取った剣で周囲の草を刈り払い(草薙)、難を逃れます。これが三種の神器の一つ「草薙の剣」の名の由来となりました。

旅の終わりに近づいた頃、日本武尊は伊吹山で白いイノシシと対峙します。しかし、この戦いで致命傷を負い、その魂は白鳥となって飛び去ったと伝えられています。現在も伊吹山の山頂には日本武尊の像が建てられており、剣を手に力強く立つその姿が、英雄の面影を今に伝えています。

より詳しい山岳信仰の歴史や文化については、YouTube「低山ハイカー英武ゆう」チャンネルでご紹介していますので、ぜひチャンネル登録をお願いします。みなさんと山でお会いできる日を楽しみにしています!


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