オタクなら、まずは刑法175条を守ろう。
皆さんは、刑法175条という法律を、ご存知であろうか?
この法律は、正式には「わいせつ物頒布罪」とも呼ばれ、わいせつ性を持つ表現物を、不特定多数に見せる、売る、渡す等といった行為を、一切に禁じている。理由(保護法益)は、「社会の健全な性風俗の維持」のためである。
この法律そのものは、明治時代に成立し、それが今もそのまま引き継がれているものであり、現代の価値観では、性器の直接的な表現を禁じる傾向がある。いわば、「無修正」のエロ表現が、違法として扱われる原因となる法律だ。
この法律がある為に、日本国内でのAVは、モザイクが必要であるし、エロ漫画やイラストも、性器を黒い海苔や、白抜きにする必要がある。そうしなければ、逮捕のリスクがつきまとうからだ。これもあくまで、業界の自主規制に委ねられている側面は大きい。
このような法律の運用の仕方は、たしかに、理不尽であると思う。筆者も、その点は同意する。実際に、この法律を改正するために動く人々もいるほどには、法律の誤りを指摘する声は、一定数存在しているのだ。それほどには、当局の、恣意的運用で取り締まりが続いている、という実態があり、刑法175条は、違憲とも言われる法律である。
それもあってかは不明だが、昨今、刑法175条の存在を知ってか知らずか、これらを無視した"無修正の"イラストや、写真を無思慮にポストしているクリエイターが、跡を絶たず目立っている。これは、表現の自由を求める側からすると、迷惑極まりない、明らかな法律違反行為だ。自主規制で、当局からの取り締まりを避けているところに、このような無遠慮な行動を取られては、困るのだ。
だからこそ。だからこそである。法律の改正を願うからこそ、筆者は敢えて言う。
筆者は、この法律を可能な限り、遵守すべきだと主張したい。何故ならば、日本は法治主義の国家だからであり、刑法175条を守ることが、ゆくゆくは、表現の自由を守るための土台となるからである。
何故、刑法175条を守ることが大切であるかは、次の通りだ。
法律を守ることは、なにより大前提であるため
表現の自由は、確かに大事だ。だが、筋の通った表現の自由を主張するには、筋の通った行動が求められる。刑法175条が、表現規制の中心となる法律であることは確かだが、それは、法律を破ってもいい理由には、ならない。すでに存在する規制は、何らかの理由があり施行されてあるものだからだ。
まして、刑法175条は「刑法法規」という法律である。法律は、法律である以上、国民や全員がこれを守ることを、前提としている。その前提が揺らぐのなら、殺人さえも肯定されねばならない。推奨されねばならない。
そのような、無法国家になるような、加担するようなことは避けることも、国民には求められているのである。
悪法も法律。悪法だろうと、まずは遵守すること。其れを済ましたうえで、悪法に反対する主張をすることは、何ら矛盾はしない。
今ある表現の自由を守るため
表現規制は、規制したい側が、ほぼ言いがかりをつけることで、成立してきた側面がある。それは、昨今のAV新法、青少年健全育成条例、クレジットカード会社の自主規制等にも通じる話である。このような言いがかりは、言いがかりである以上、無視することも確かに、問題ではない。
だが、言いがかりを最初からつけられないように、行動することも、まずは大事ではないか、と、筆者は思う。
今、自由に表現の自由を謳歌できているのは、憲法を維持してきた、先人たちのおかげである。その先人たちの努力を無碍に、野放図に法を破った表現の自由の主張は、ゆくゆくは自由を主張する側の、立場を悪くしかねない。これが隙となって、表現規制側に有利な状況を、与えることにもなってしまいかねない。
そうなる前に、「我々は法律を守った表現をしていますよ」と、主張できるようにしておかなくてはならないのではないか。
刑法175条の遵守は、そういった筋の通し方にも、繋がる話である。
必ずしも悪いものとは言えないため
刑法175条に基づく、性器の修正は、それ自体がある種の表現文化として、国内に根付いたもの、とも言える。日本という、特殊なまでに、同人イベントや創作サイトが溢れた国で、この特殊性は、目を引くものでもあるだろう。性器の修正も、その一つだといえる。
海外では、無修正が当たり前だ。だが、その海外では、無修正が問題ない代わりに、内容の包括的規制を求められる、という点がある。
他方、日本では、性器に修正さえ施せば、作品の内容にまで口を出される可能性は、少ない。法律も、其れ以上の規制は求めていないためだ。
もし、日本が無修正を良しとするようになれば、このような、内容規制の呼び水となり得る可能性もあると思う。その防波堤としての側面も、わかりやすく性器を「見せない」刑法175条の運用は、有していると思える。
なにより、修正を施すことで、そこには性器が存在するマーカーとしても働くために、よりエロさを際立たせる効果もある。これは、刑法175条がなければ、これほど成立することのなかった表現でも、ある。
諸々を以て、日本の誇るHENTAI文化の守りは、海苔やモザイクによって、保たれているのだと言えよう。
刑法175条が理不尽だとしても、その理不尽さに気取られて、無法を働くことを正当化することは、何としても許してはならない、と、筆者は考えている。
表現規制の請願が、国会に何度も提出されるような、そんな現在の日本のあり方に、疑問を投じたいのならば、まずは、今ある法規制には、遵守する意思を持つべきだろう。
最後に・クリエイターの人達向けに
時々、性器を描いても、修正で隠れることを嘆く絵師やクリエイターがいるのを、よく目にする。しっかりとディテールを描き込んでポストしている、人もいるのは知っている。
そういうクリエイターには悪いのだが、今の日本で、刑法175条が有効である以上。この法律を守るようにしてほしい。
本当に、表現の自由を守り、きちんとしたエロ表現を公表したいなら、少なくとも、業界基準に則った、性器の修正をすべきだ。刑法175条が、改正されるまでの辛抱として、そこは耐えてほしい。
表現は無限大だ。たとえ、性器に修正を入れても、エロさが消えない表現を求める努力も、してみるといいだろう。そして、性器以外の表現は、自由が担保されているのだから、それ以外の表現を、極めるようにしてみるのもいいかもしれない。
私も、イラストを描くこともある身だからこそ、このように、頭を下げている。
そして、もし、身の回りに無修正の作品をポストしている、そういう人がいたら、「刑法175条に違反している」として、本人に注意したり、それでも効果が望めない場合。運営や、インターネット・ホットラインセンターへの、通報を行ってほしい。
表現の自由を守りたいオタクとして、これは、お願い申し上げたい。