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日本国憲法第五十一条

両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。

おでんの具材と詰め替えの洗剤、さらにボックスティッシュを両手にぶら下げて約30分の道のりを歩いた。何だかよく分からないけれど幸せだった。

阿保みたいなことしか書けなくなっている。脳内お花畑もいいとこだ。だけどこのお花畑状態だっていつまで続くか分からないし、でも先の分からないことに無駄に不安になっても仕方がないことも分かっているから、とにかくこの状況とこの時間に身を委ねている。
分からないことはいくら考えてもわからない。だからといって明日死ぬ可能性が高いかといったらそうではないし、毎日高級肉を貪るわけにもいかないので昨日の夜はおでんにしたわけだ。

子どもの頃はおでんが好きではなかった。なんだかぼんやりとした味付けでご飯のおかずになるわけでもないし、メインも玉子なのか大根なのかつみれなのか定かではない。しかもラーメン屋の寸胴くらい大きな鍋で作るものだから、絶対に2日、最悪3日は夕飯がおでんになる。食べ盛りの10代にとって、おでんは‟ハズレ”の夕飯でしかなかった。
しかし大人になってお酒を飲むようになったら一変した。子ども時代のハズレの夕飯が冬の最高のつまみに変貌を遂げた。コンビニのおでんは最高だ。しかし、家で作るおでんはまた別格で至高なのだ。

夕方から切り込みを入れた大根を下茹でし始め、ゆで卵を作る。スーパーの練り物コーナーで魚河岸あげと玉ねぎ天、竹輪とはんぺんを購入。欲張って餅巾着とこんにゃくも入れたら鍋がパンパンになった。
他人の家のキッチンは使いづらい。顆粒出汁の在処が分からず、取り敢えず醤油とみりん、酒のみで味付けをしてみたがそれなりになった。昆布や鰹節から出汁を取るようなことはしない。やればそれなりの評価は得られるだろうけれど、ずっとそんな風に頑張り続けることはできないし、もう自分を良く見せて関係を維持しようなんて思う年齢でもない。




適当なことばかり言っていた。大して好きでもないのに成り行きで付き合って、それでも嫌われたくはないからたくさんの嘘を着込んで本当の自分を見せないようにしていた。だけど完璧超人な訳ではないから、当然辻褄が合わなくなるしボロも出る。自分の発言に責任を持てなくなり、いずれそんな自分が嫌になり疲れてしまう。
それすら最後が何年前だったのか分からないくらい、ずっと恋人なんていなかったから、自分を繕う術も忘れてしまった。初めて飲んだときに記憶をぶっ飛ばし、2軒目の居酒屋のトイレで盛大に吐き、すっきりした顔で「吐いてきました」と報告するという醜態を晒したのだから、もうどうにでもなれだ。それ以上落ちることなどないだろう。それにしても記憶を飛ばしたことだけは覚えているというこの中途半端な記憶力、どうにかならないかね。

休日は唐揚げをつまみに昼から飲み、夕方散歩をして夜は蕎麦を茹でてまた飲んだ。熟年夫婦のような生活だけど、多分求めているものはこんな時間だったのだと思う。
一人の時間が絶対に必要だと思ってきたけれど、わざわざ作らなくても必然的に一人になる時間はあるし、普通に毎日ちゃんと会いたいと思える。冒頭でいつまで続くか分からないと書いたけれど前言撤回。いつまでも続いて欲しい。そのためだったら、それなりの努力はできる。
やっぱりいつまでも、発言に責任を持てない大人なのだ。

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