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日本国憲法第二十九条

財産権は、これを侵してはならない。
2.財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3.私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

確か私が大学生だったときの埼玉県の最低賃金はまだ800円くらいで、私がアルバイトをしていたスポーツクラブの時給は850円だった。そこに能力給が加算され、最終的には1000円くらいで働いていたのではないかと記憶している。
大学生のアルバイト問題は色々あるけれど、例えば貴重な時間を安い時給で買われているとか、そういう議論はいつの時代もなくならない。私は自分の時間を誰のためにどんな風に使おうと自由だと思うし、私自身アルバイトで良い経験をしたということもあって、一概に否定はできない。

経験は財産だなんて100万回擦られた台詞だけど、実際のところ全部が全部財産だとは思わない。負の遺産となることも多々ある。だけど大学時代のアルバイトは確実に私の財産になった。
水泳のインストラクターのアルバイトを始めたのは大学1年生のとき。自分の能力を活かして働いてみたい、高校卒業以来離れていた水泳に携わりたいという欲求からだった。1,2年生の頃はまだ授業がパンパンに詰まっていて、週2~3回夕方から出勤していた。ちょうど子どもたちのスクールが始まる時間で、わらわらとプールサイドに現れる子どもたちの姿を見ると自然と笑顔になった。

幼い頃から水泳を習っていたにも関わらず、そのときの記憶はほとんどない。あのときコーチはどうやって教えてくれたかな、などと考えながら頼りにならない記憶を辿った。気付いた時にはすっかり泳げるようになっていて、泳げなかった頃の記憶も例によってなくなっていた。
水が怖い、顔を付けられない。ビート板を持ってバタ足ができない。手を前に出して浮くことができない。
正直意味が分からなかった。偉そうかも知れないが、まだヨチヨチ歩きの生後6ヶ月からベビースイミングに通っていたのだ。歩いたり喋ったりと同じように当たり前に水と触れ合ってきた。ただの慣れだけど、それでも「どうやって歩くのか」という疑問と同じくらいのレベルで「どうやって泳げるようにさせるか」という問いに日々向き合ってきた。
周りの人に教えてもらいながら、また試行錯誤を繰り返しながら、徐々に教えることの楽しさや子どもたちの成長を見ることの喜びを感じるようになった。

3,4年生になると授業数も減り、丸まる一日アルバイトをする日も増えてきた。それに伴い、昼間からの大人のレッスンを受け持つことになった。
子どもたちとは違い、言葉や身振り手振りで伝わることはとても楽だったが、代わりに身体の柔軟性や可動域、運動能力の低下などにより上達を可視化することが難しくなった。
しかし、子どもやその親たちの「泳げるようになりたい」という願望とはまた違う、「その時間を楽しく過ごしたい」という大人のお客さんの気持ちに気付き、それに応えることに注力するようになった。毎回1時間のメニューを考え、今日はこんなことをやりますと提示する。楽しく話して場を盛り上げ、見本を見せ、一人一人に声をかけることを意識した。
無料のレッスンだったため、その日プールに来さえすれば誰でもレッスンを受けてもらうことができる。そんな中、毎回来てくるお客さんに加えて新しいお客さんも段々増えてきた。人数が増え、レッスンに使用するコースを一つ増やした日はとても嬉しかった。



私が大学時代のアルバイト経験で得たことは「成功体験」だ。自分が求められること、自分が長年かけて培ってきたアイデンティティとも呼べるものを認められることに確かに喜びを覚えたし、自信にもなった。
大学を卒業する少し前の1月にアルバイトも辞めたときに一緒に働いていたコーチたちが送別会を開いてくれ、いつでも戻ってきていいからね、いつでも人手不足だから、と笑顔で言ってくれたとき、きっと冗談ではないだろうと感じた。実家以外に安心して帰れる場所があること。手前味噌だが、自分が4年間頑張ってきたということの成果だとも思う。
もちろんこの経験も、出会いも私の財産になっている。だけど、自分で自分を認めることができたというこの成功体験は今でも支えになっている。

あの時私が教えた子どもたちや大人のお客さん、まだ水泳をやっているかな。やっていなくてもいいけれど、楽しかった記憶が少しでも残っているといいな。スイミングスクールに通っていた頃の記憶がほどんどない私が言うのも都合がいいけれど。

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