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日本国憲法第六十一条

条約の締結に必要な国会の承認については、前条第二項の規定を準用する。

地上から駅構内に向かう地下へと続く数段の階段。急いでいる訳でもないのに、いつも駆け下りてしまう。妙に急な階段で、転げ落ちてしまいそうになるがなぜか足を止めることができない。
度々人生を階段に例えて上手いことを言う人がいるが、実際はどうなのだろう。いつだって時間は平等で、真っ直ぐな道を同じ歩調で進んでいるだけに思う。人生に成績表などないのだから、上手くいくもいかないも相対評価でしかなく、歩いている最中に周りを見てしまうと落ち込んでしまうこともある。上手くいっている状態というのは周りなど見えず、後から振り返ったときに‟ああ、そういえばあの時”と思えるくらいなのではないだろうか。

結果が同じであれば、要領が悪く不器用なくらいの方がいいと思ってしまう。自分がそうだから、自分を肯定するための口実なのかも知れないけれど。
数十秒の動画の中に、成功者の姿が映る時代。芸能人でなくとも、スポットライトが当たる時代。本当のところはどうか知らないし、他人の幸せなんて図ることはできないけれど、もし自分がぜいぜい言いながら階段を登っていると思っていた10代の頃にこれを見ていたらと思うとぞっとする。

承認欲求なんていう言葉はもう死後なのかも知れないな。少し前まで自宅で小さなカメラに向かって喋る人たちを馬鹿にしていた芸人も、今やそんなことお構いなしで動画をアップする。誰かに認められたいと思う気持ちは人間であれば当たり前に存在することは分かっている。だからといって不特定多数の人間に自身のスッピンを晒す気はないが。
大丈夫、私はちゃんと働いてお金を貰っているし、心配してくれる家族もいるし、隣で寝てくれるなで肩もいる。

想像するとそれはそれで地獄絵図のようだけど、みんな同じように同じ道を歩いているだけだと思う。手の平に収まる小さな画面を通して周りを見渡しても、別にベルトコンベアーに乗っているわけではないし、当然自分だけが階段を上っているわけでもない。
ゴールに向かってただひたすら歩く。本当にそれだけなのだ。

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