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日本国憲法第九条

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

終戦から75年。私は戦争を知らない。
しかし、私たちの世代もそれより下の世代も、多かれ少なかれ「戦争」という事実に触れてきていることは確かだ。本や映画、学校教育。実際に体験していないことを「知らない」と言われてしまえばそこまでだが、この国に生まれたからには、戦争というワードと切り離して過ごすのは不可能だろう。

戦争のない時代。それを有難いと思わなければいけないのか、当たり前だと思うのは罪なのか。それは分からない。
そもそも憲法九条の改正もいつどうなるかという状況で、私が今後死ぬまでの間に戦争が起こらないとも言い切れない。今、戦争が起きたらどうなるのだろうか。

第二次世界大戦が行われたおよそ80年前と比べ、日本は大きく変化した。敵軍が攻めてきて、飛行機から爆弾を落とされて。私たちがドラマや映画で見てきた戦争はそんなイメージだ。しかし、どう考えても、今の時代に『火垂るの墓』や『この世界の片隅に』のような景色になることは想像がつかない。
防空壕?疎開?軍需産業?あまりにも非現実的で、やはりどこか他人事のように思える。

ずっと考えていた。九条のことを。戦争のことを。
広島の原爆ドームにも、長崎の原爆資料館にも行った。私が知る戦争の現実とはせいぜいその程度だ。

恐ろしい。悲しい。そんな当たり前の感情とともに、一番に思ったことは、なんて愚かなんだということだった。どこをどう探したら、戦争が起きて良い理由が見つかるというのだ。
九条を守ることが、武力を放棄することが、この国を戦争から守るということなのだろうか。本当にそう?外から持ち掛けられた喧嘩を買わなければ誰も死ぬことはない?
浅はかかも知れない。この無知な若者を許して欲しい。
だけど、昭和すら知らない私たちの知識などこの程度ではないだろうか。

戦争は嫌だよ、起きて欲しくない。九条だよね?九条に守られてるんだよね?日本は戦争はしないって言ってるんだよね?
どこか他人事で、非現実的。目の当たりにしていないとは、こういうことだ。

ここからは更に超個人的な見解。書くかどうか非常に悩んだが、今日現在の率直な私の意見を書き留めておくことにする。

日本国憲法第九条。
このたった数文字、たった数行のこの言葉の羅列はとても美しい。未来のことは分からない。いつどこで戦争が起きるか、テロが起きるか、私の暮らす日々が変わってしまうか、予想もつかない。
九条を守ることが全てではないと思うし、絶対的な信頼を置くには脆すぎるとも思う。だけど、少なくとも今は、「戦争を知らない」私たちは、この美しい言葉を守る意味があるのではないだろうか。

あの大きな国で、あの恰幅の良いおじさんが一国の主になったとき、ぼんやりとまたあの国が関わる大きな戦争が起きてしまうのではと感じた。それに日本も巻き込まれて、私も死ぬのではないかと。

「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
国を守るというのは、国民が被害者にも加害者にもならないということ。そして戦争というのは、嫌でも被害者にも加害者にもなってしまうということ。
漠然と、死ぬのは仕方ないけれど殺すのは嫌だな、そう思った。

戦争を、罪のない人々が無意味に死ぬことを、仕方ないと言っているわけでは決してない。だけど、そんな事態になってしまったとき、80年前の惨劇が再び繰り返される時代が来たとき、私は手に何も持たない。絶対に、戦わない。

支離滅裂な文章で申し訳ない。正直や素直を言い訳に自己防衛をしている訳ではないが、ここに書いた言葉に嘘はない。
やはりぶち当たった憲法九条の壁。先はまだ長い。

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