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日本国憲法第四十条

何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。

いつだって時間は平等に流れているはずなのに、気が付くと追われていたり失っていたりする。そのことを理不尽に責めたりするのだから、身勝手なものだ。
今学年最後の定期試験。これさえクリアすれば無事来年の4月には3年生になり、いよいよ最終学年を迎える。私の延命期間、執行猶予期間もあと少しだ。

年末のにおいがする。クリスマスだからといって何かをする訳ではないし、今年に限っては大晦日も仕事だから特別どうということもない。だけどやっぱり、「終わりフェチ」の私にとっては年の瀬の独特な雰囲気が堪らないのだ。
人生のゴールに向かってひた走る、この日々の中で一つの区切りとして迎える年末。お子様ランチに付いてくるくらいの小さな旗を取って、「終わり」を実感する。よし、今年も、と。


自分で自分を傷付けまくった20代も、もう間もなく終わりを迎える。自傷行為は罪にはならないけれど、裁かれないが故に尾を引く。
少し追い込み過ぎてしまったなと、ここ最近反省する。どこまで戻ったら、どこからやり直したら、と省みては溜息をつく。自分の全ては、自分が食べた物、得た物のみで形成される。そして自分で付けた傷は往々にして治りづらい。

裁かれてもいないから無罪ともなっていないけれど、それでも確かに“事実”としては刻み込まれている。
自分は必要とされない人間で、愛されない人間で。
ちゃんと見える位置に身体に彫られてしまっている。もしかしたら必要とされているのかも、愛されているのかも、と思った瞬間にこのおどろおどろしい文字面が目に入り一気に引き戻される。


テスト勉強中の発散方法としては間違っているかも知れないけれど、ここに戻ってくると安心する。誰もいない部屋で、自分とだけ向き合って一人で喋っている。
もう戻れないし、もう傷も治せない。
だからせめてもの償いとして、もう嘘をつかなくてもいいし、もう無理をしなくてもいいと言い聞かせている。

息を大きく吸い込むと年末の冷たい風が鼻を抜ける。
さあ、もう一踏ん張り。今日も勝手にいなくなってしまった時間という奴を少々恨みながら。

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