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日本国憲法第十三条

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

他人の権利を侵害しなければ、人は自由に生きて良いし幸せを求めて良い。そして個人の権利は国に守られている。

つまらないことで、本当に些細なことで、ここに居ていいのか不安になる。いや、この言い方は正確ではない。もちろんこの不安な気持ちを解消させるために、家族や友人に「私はここに居て良いの?」と聞いてみるとする。
きっと、全員が首肯してくれるだろう。
だって、何も聞かずに肯定してくれる人にしかこんなこと聞けないから。
およそ、初めから決まっていた方程式なのだ。

不安になるのではない。「もういいや」と思ってしまうのだ。ここに居ることを、ここで生きることを。
もういいか、もういいね。そんな風に、一人でかくれんぼをしているかのような自問自答が発生する。十分だと思っている訳ではない。ただ、自分の人生にこれ以上何かが起きるとも思えないし、追求したいこともない。

先日知り合いにこの旨をもう少しマイルドに伝えたら、「キセルとかやってみたら?」と謎の教唆をされ思わず笑ってしまったが、犯罪等はさておき「やってみたい」ことも「なりたいもの」も見つからない。
28年生きてきて、多分二十歳くらいのときにはもう自分の能力の限界に気付いてしまったのだ。見切りをつけているから、見つけることもできないし見つけようと努力もしないのだ。


「幸福追求」というパワーワード。
明日のことも、一年後のことも分かり切っている中で、自分の可能性すら底なのか頂点なのか分からないが見えている中で、幸福を追求する。せっかく国が守ってくれている権利だし、行使してみるのも一つの手だ。

今はどうしたら良いか分からないし、今はただ日々を淡々と粛々と過ごすことが一番だと思っているけれど、いつか、もし幸福を追求してみたくなったとき、ここに居て良いんだと誰に言われなくても思えるようになったとき、きっと私は憲法13条を思い出す。


週に一度の登校日を出勤日にしたせいで、連休がなくなった上にキラキラ爽やか社員さんと会える日が減ってしまった。これは辛い。辛すぎる。私の変わらない普通の毎日に支障をきたしている。
その代わり、必ず会える土日が楽しみでたまらなくなった。私の幸福追求などこの程度なのかも知れない。
今日も檸檬堂の「鬼レモン」を飲んでから書いている。

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