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日本国憲法第三十条

国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

相変わらず机上が散らかっている。決して広くはない部屋で、極力ものを置かないようにしているため部屋自体はそれほど汚くはないが、教科書やノート、イヤホン、ハンドクリーム、読みかけの本など、何でもかんでも机にポイと置いてしまう癖がある。

そういえば小学生の頃、勉強机が汚すぎて母親にランドセルや筆箱など全て玄関から外に放り投げられたことがある。ブチギレたときの母は非常に恐ろしかった。完全分離の二世帯住宅で、我が家は外階段を上がった2階にあったため、私の持ち物は無情にもコロコロと階段の下まで転がった。それを泣きながら拾い集め、なんてひどいことをするんだと思っていた。
私も姉も平成生まれで、学校教育も徐々に鉄拳制裁が問題になってきた時期ではあったが、中学時代の体育教師は竹刀を持っていたし、家庭でもある程度そういうことはあった。直接手を挙げられたことはさすがになかったが、物を投げられるとか、玄関の外に出されたりとか、まあその程度のお仕置きは食らってきた。

今はいくら部屋が汚かろうと、昼過ぎまで寝ていようと、怒られることなんてない。いつだって戒めるのは自分自身で、二度寝三度寝を繰り返し起きたときにはもう午後2時で、休日がほとんど終わっていた時の絶望感はランドセルを階段の下に投げられた時くらい絶望する。
だからといって起きたところで寝転がって録画したドラマなどを観ているだけだから、結局重力に負け続けているだけの無為な休日を過ごしていることに変わりはない。




やらなければいけないことは色々あるけれど、見て見ぬふりをしたり後回しにしたり。散らかった机の上に鎮座していた年末調整の書類も、手を付けなければいけないことの一つだった。そろそろやるか、と渋々手に取ったのは書類が送られてきてから一週間以上経った昨日の夜。やり始めたら大したことないのに、毎年放置し続けていつも提出期限ギリギリになってしまう。

見えるようで見えない、税金の存在。
ある芸人のコントで年金払う払わないで揉める男女の話があるけれど、確かにいつもらえるか、いくらもらえるかなんて分からない状況で、「ただ搾取されているだけ」と思ってしまうのも無理はない。消費税も、所得税も、住民税も、自動車税も、何だかよく分らないけれど払っているような気がしてしまうときもある。
例えば国の政策でその税金が使われたとしても、特に自分に還ってきている感じはしないし、まあだからと言って「自分たちの税金が無駄遣いされた」なんてTwitterで大騒ぎする人も愚かだと思うから、私は何も言わないでいるけれど。



年末調整の書類を書き始めるといよいよ一年の終わりを感じる。相変わらず扶養してもいないしされてもいないな、なんてぼんやり考えたりするのも毎年恒例だ。
誕生日の前と同様、年末も「やっと一年終わる」と思えるから好きだ。イベントも特別な催しもないけれど、終わりに向かう空気感が漂っているのを感じると少しウキウキする。事あるごとに「忘年会」と称して飲酒していても罪悪感がないのも良い。

今年もきちんと社会人としての義務を果たすことができた。納税に意味を感じるのはこんなときかも知れない。偉いぞ自分、と思えるために日々せっせと税金を納める。

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