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日本国憲法第四条

天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

憲法の「け」の字を見るのも嫌になる時期がいずれ来るのだろうが、取り敢えず今のところは大丈夫だ。それもそのはず、別に大したことは書いていないから。普段のnoteとそれほど違わない。ただ日常生活とほんの少しリンクさせているだけ。
大した目的があった訳でもない。毎日noteを書き続ける中で、何か連続性のあるものをテーマにすることによって「続ける」ということの意味を見出してみたかっただけだ。しかも、人に言われて始めたことだから強い意志も呪縛もない。時間がなかったら平気で休もうと思うし飽きたら突然辞める。



そういえば国事行為って何だっけ、確か中学時代に習ったはず。内閣総理大臣の任命とか、国会の召集とかだったかなと、記憶の隅々を探る。
その中に、「栄典の授与」というものがある。栄典とは功労者へ贈られる勲章や褒章のことで、これまた縁のない話だと思いきや、私が初めてバレエを習った先生は紫綬褒章と旭日小綬章を受賞したことのある舞踊家だった。

以前、『バレエは眩しい世界』で書いた、とにかく優しいおじいちゃん先生。本当に楽しくてお茶目で、よく褒めてくれる大好きな先生だった。
スゴイ人でエライ人なはずなのに、その気さくな雰囲気と可愛らしい人柄から親しみやすさで溢れている人だった。全く偉そうでなく、先生の周りにはいつも人がいた。

一度だけ、先生の舞台に出してもらったことがある。バレエ教室から一つのクラスだけちょっとした一幕に登場するというもので、歴も浅く技術もまだまだだったが、たまたまそのクラスに所属していたというだけでさいたま芸術劇場の舞台で踊ることができた。
舞台上から見る景色は特別だった。煌々と照りつける照明は熱くて眩しい。暗い客席の方を見ると、真っ直ぐに舞台を見つめる大勢の人たちの顔が薄っすら浮かんでいる。


先生の作り出す世界に、私が存在している。
なんて貴重で、ありがたい経験だったことか。
高校生だった当時は、そこまでの実感は湧かなかった。ただただ楽しくて、とにかく嬉しかった。だけど、そんな感想で良かったんじゃないかとも思う。

魔法のような時間だった。このまま舞台の世界で生きていくことができたら、一生踊って暮らしていけたら、そんな風に思っていた。
2012年にこの世を去った先生は、最期まで踊りの世界で生き続けた。私が、先生の踊りや、舞台や、人と向き合う姿を見ることができたのはたった数年間だけだったけれど、先生のように自分の好きなことがどれほど楽しいことか自分以外の人に伝えられる生き方に心底憧れた。


先生のお陰で、大好きなものに出会うことができて、好きなことを好きなままでいる選択ができた。
今は舞台とも踊りとも離れた生活をしているが、きっとまた絶対に、私はあの眩しい世界に戻る。そのために、今は細々とコツコツと仕事をして勉強をしている。

どんな名誉を得ても、どんな素晴らしい賞を受賞しても、水曜日の夜に会う先生はいつも楽しそうに軽やかに踊る一人の舞踊家だった。レッスン場の隅に飾られていた賞状は埃を被り、なんてことない顔をして鎮座していた。

評価されるべき人がきちんと評価される。それは絶対に必要なことだ。だけど、そんなこと関係ないと飄々としている人が好きだ。
何を思い出したのか、何を考えたのか、少し泣きながらこの文章を書いた。今日も今日とて、タイトルとは無関係な内容である。


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