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日本国憲法第二十四条

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2.配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

できるかできないかは別として、結婚したいかしたくないかと聞かれればはっきりと「したい」と答えることができる。したい理由も、したくない理由もどちらもいくつか挙げることができるけれど、その数や重要性ではなく多分直感的に、ぼんやりと、二つの選択肢を目の当たりにしたときに「したい」方を手に取るような気がする。
ただこればかりは相手があることだから、自分の意志だけではどうにもならないのが現状で、だからといって今すぐ何か行動を起こすとか、躍起になって婚活をするとか、そういうことをしている訳ではない。恐らく、いつかできればな、やっぱり一生に一度くらいしたいな、と思うくらいの度合いなのだと思う。




憲法でいうところの、「同等の権利」「相互の協力」とはどういうことなのだろう。例えば財産とか、親権とかなら分かりやすいが、時間や家事といった形のはっきりしないものについては、個人の裁量に委ねられるのだろう。というか、そうするしかないとは思う。

私が知る一番近い存在の夫婦は、当然父と母で、この二人の形が世間にとってマイノリティなのかマジョリティなのかは分からない。
我が家のほとんどのことは母親に決定権があった。多分だけど、財布を握っているのも母親だ。教育方針も、物事の考え方も、母の影響を大いに受けている。そのことについて父親がどう思っていたかは分からないが、子どもの名前すら付けさせてもらえなかった父が、少なくとも私たち姉妹が父と健全で良好な関係を築けているのは「父のおかげ」と思っているのは間違いない。

仕事ばかりしていて、実家にいた頃から一緒に夕飯を食べるのは年に5回もなかった。海外出張も多く、極端に接する時間が少なかったため未だに会話するのを恥ずかしいと思ってしまうのも事実だ。28年も父の子どもをやっているのに、完全に人見知りを発揮してしまっている。
「子どもたちと一緒にいる時間が少ないんだから、絶対に怒っちゃだめ。嫌われるよ」と母は父に言い聞かせていたようで、母には本当に厳しく育てられたが、父には一度も怒られたことがない。勉強に関しても、一度も口出しをされたことはないし、高校受験のときも大学受験のときも相談すらしていない。それは相談する意味がないからではなく、絶対に反対しないから、という安心感に基づいてでの行動だ。

学生時代、学期末に渡される成績表を母には毎回きちんと見せていたが、物理的に父に手渡すことができず、リビングの机の上に置いていた。一度、たまたまリビングで居合わせたときに私と姉の成績表を開く父の姿を見たことがあったが、私がその場にいたにも関わらず何も言わず自室に戻っていった。当時はこの人子どもに興味ないのか?なんて思ったりもしたが、きっと学校の成績が良かろうが悪かろうが父にとってはそれほど重要なことではなく、私たち二人の娘はただの「可愛い娘」であることに変わりはないのだ。





家事の一切を行わない父だったが、それに対して母が何か言っているのを見たことがない。母に言わせてみれば、子どものことを始めとするほとんどのことを任せてもらえている代わりに何もしてもらわなくて構わない、というスタンスで、自分の溺愛する娘たちと良好な関係を築けているだけで十分だったのではないだろうか。想像の域を超えることはないが。

それで言えば「同等の権利」「相互の協力」という部分で我が家の父と母が同等の権利を有していたようにも、相互に協力し合っていたようにも見えないとは思う。世間的には。だけど、我が家はその形でうまくやってきたし、子どもたちも健全に大きくなったし、他の誰かになんと言われようと、「割と幸せ」だったことに間違いない。
まだまだこれからも父と母の子どもでいるつもりではあるけれど、一応扶養から離れ一人で暮らす娘からしてみれば、もう十分過ぎるほど幸せも安心も与えてもらった。




いつか結婚したとき、我が家はどんな家庭の形になるのだろう。私が相手にとって有益な存在になれるとは思えないが、それなりに幸せだったと思えるくらいでいいのかも知れないとは思う。あくまで、結婚できたらの話。結婚していない今も、まあそれなりだけれど。

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