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日本国憲法第二十七条

すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2.賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3.児童は、これを酷使してはならない。

これまで散々営業時代の話をしてきたけれど、近年で最も印象的な期間でありその以前以後で自身の考え方や人生観、死生観まで大きく変わるきっかけにもなった時期だったからで、必然的に話すことは死ぬほどある。もう辞めて2年以上経つため、段々記憶も精査され思い出も補正されてきた。
まだ28歳。これからも色んな出来事があると思うが、喜怒哀楽その他様々な感情が入り乱れながら、自身を形成する上で欠かせない時期が何度かあった。

第一次形成期は「シンクロ期」。8歳から14歳までの6年間、多分あの頃以上に一つのものに夢中になり、必死になって頑張ったことはない。そして恐らくきっとこれからもない。過去を超えることは難しいし、美化もしてしまっているからということを差し置いても、なぜあんなに頑張れていたのか、なぜあんなに辛いのに続けていたのか、明確な答えは出ない。
確かに自分なのに、別の人の人生のようで、本当にあの6年間は自分の人生だったのか甚だ疑問である。だけど、紛れもなく「シンクロをやっていた」ということで乗り越えられたことも、支えられたこともたくさんあった。自分を肯定できる大きな要素の一つになっていることは確かだ。

第二次形成期は「営業期」。22歳から25歳までの3年間。反対に、この3年間で自身の肯定感はめちゃくちゃに壊れ、自己否定感と自己嫌悪感が恐ろしいほど膨れ上がってしまった。それはまだ修正できていないし、きっとこれからも大きな影響を与え続ける。
自分はダメな人間。自分は無能な人間。自分は不必要な人間。
呪いのように、この言葉が付いて回る。形成されたというより、本来持っていた自身のダメな部分が浮き彫りになったという方が近いかも知れない。今まで誤魔化してきたところが見つかってしまった、という感じ。




初めて社会に出て、「働くとは」ということを何度も考えた。これが自分の思い描いていた人生なのか、これが大人になって見たかった景色なのか。
国民の三大義務、教育、勤労、納税。義務教育期間のほとんどが第一次形成期だったため、学校教育より水の中での記憶の方が強く、これはさすがにイレギュラーなパターンだと思うが、勤労に関しては同世代と足並みを揃えてスタートした。
就職活動のときに夢見ていた「社会人像」とは程遠く、こんなにめちゃくちゃに削られながら多くの大人たちがこの義務を果たしているのかと思うとクラクラした。営業が自分に合っていなかったのか、頑張れなかった自分が悪いのか、それは今追求しても仕方のないことだけど、「向いていない」という一言では軽すぎるほど、「仕事ができない」という情けない感情で脳内がいっぱいになった。

驕っていたのかな。自分はできる人間だと勘違いしていたのかな。少なくとも、努力は怠らない性格だと思っていたのにな。
逃げて逃げて、逃げた先も地獄で、辿り着いたのは真っ暗な部屋で。気付いたら身体が動かなくなっていた。このまま消えてしまいたい。居なくなってしまいたい。全部全部、なくなってしまえばいいと思っていた。
誰かのせいにできたら、いくらか猶予があったのだろうか。会社のせい、上司のせい、嘘でもそう思えたのなら。だけど、当時の自分はとにかく自分を追い詰めるだけ追い詰めて、全て一人で抱え込んでしまった。今更たらればを言ってもどうにもならないけれど、今あの時に戻って「自分のせいだけじゃない」と声をかけたとしてもきっと聞く耳を持てなかっただろう。

あの頃の自分を救うことはできないし、肯定してあげる気もないけれど、それでも確かに言えることは病気になるまでやっちゃダメ、ということだ。誰かに助けを求めたらよかったのか、さっさと辞めたらよかったのか、どこかに逃げ場を見つけられたらよかったのか、正解は分からない。だけど、死にたいと思うまで追い込んでも何にもならない。
多分、本当に「死ななかっただけ」だから。




こんな自分だけど、就活をしていたときは自分史上稀にみる自己肯定感爆上がり期で、これはちょっと楽しい話だからいずれ書こうと思う。憲法と就活が繋がるときがあるかな。もしかしたら今日書くべきだったのかも。


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