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日本国憲法第五十三条

内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

仕方がないこととはいえ、昨年は一度も集まることができなかった。
高校時代の友人は3人。全員同じ部活だった。

入学当初からクラスに友達は出来なかった。というか、作ろうとすらしなかった。
私立の女子校で、入学初日から既にグループのようなものが出来上がっていた。中高一貫ということもあり、中学からの内部進学組と、私たちのような高校から組で完全に二分し、さらにどちらにも入りたくない私がいた。
中学時代も友人は小学校からの幼馴染ただ一人で、ずっと学校のヒエラルキーやピラミッドのようなものからは一線を引いたところ、言うなれば生徒と教師の間のやや教師寄りのポジションに居座っていた。高校に入っても友人を作る気はなく、教室の端でぼんやりと教室を眺め、‟どのグループにも入りたくないな”と思っていた。とどのつまり、斜に構えていたのだ。

部活は水泳部に入ることを決めていた。小中とずっとシンクロをやってきて、胸を張って特技といえるものといったら水泳くらいしかなかった。幸か不幸か入学した高校には立派な屋内プールがあり、一年中恵まれた環境で水泳に打ち込むことができた。
部活初日、恐る恐るプール棟に足を踏み入れるとそこには私と同じようにきょろきょろとあたりを見渡している一年生らしき生徒が二人いた。互いに目を合わせ、軽く会釈をすると少しずつ距離を縮め、「その辺でストレッチします?」と初めての会話を交わした。そこから話は早く、3人とも高校から入ったことを知り、中学までは何の種目をやっていたかなどの話題で盛り上がった。私は高校に入るまで競泳とは関わってこなかったため、何の種目をやってたとかはないと話すと驚かれた。

しばらくすると顧問の男性教師が訪れ、入水するように指示された。ウォーミングアップのメニューを告げられ、3人で同じコースに入るとそこには既に何人かの生徒が泳ぎ始めるところだった。先頭で泳いでいたのは同じ学年の内部進学の生徒、その後ろに並ぶ数名は全員2年生だった。私たち3人はその先輩たちの後ろから泳ぎ始めたが、アップの段階で既に泳力の差が如実に表れた。

先輩たちを差し置いて先頭で泳いでいたSは中学からの内部進学組で、幼い頃に水泳教室に通っていただけで本格的に水泳を始めたのは中学に入学してからという、恐ろしい潜在能力を持った奴だった。私と共に高校から進学し入部したAとTは有名なスイミングクラブに通っていた所謂‟選手コース”のエリートで、私はただただシンクロのトレーニングで馬鹿みたいに泳いでいただけ。
そんな4人だったが、一年生の4月には一番上のコースの先頭で泳ぐようになっていた。競泳は基本個人競技なため青春スポーツ漫画のようにはならないが、それでも実力だけで振り分けられた同志だったため自然と距離は近づいていった。試合も個人種目だけではなく4人のチームでリレーにも出場することができ、2年生に疎まれたりもしたが楽しい日々だった。
Sは短距離の自由形、Aは背泳ぎ、Tは個人メドレー、私は中長距離と全員が異なる種目だったのも良かったかも知れない。因みに私の種目は「シンクロをやっていたから体力がある」という理由だけで決まったものだったが、400Mも800Mも競技人口が少なく、割と容易に成績を残すことができ、シンクロも競泳の世界で結構通用するんだなあとちょっと感慨深かった。




教室では独りぼっちだった私も、昼休みに弁当を抱えて食堂に向かえば部活の友人たちが出迎えてくれた。日中は誰とも話すことがなかったけれど、部活の帰りにコンビニに寄って肉まんを買い、お喋りに花を咲かせながら駅まで歩いたりしていた。同じ空間で、同じ競技で頑張る友人たちがいれば、高校生活はそれで十分だった。

卒業後も定期的にご飯に行ったりたまに旅行をしていたが、社会人になるとどうしても時間が合わなくなり、会えて年に2回、少なければ新年会か忘年会だけという年もあった。
私たちはSNSでも繋がっていないし、頻繁に連絡を取る間柄でもない。便りがないのは元気な証拠とはよく言ったもので、結婚や出産といった大イベントでもなければLINEグループは動かない。基本は会って報告、会ってびっくり、だ。でもその距離感が丁度いい。

昨年はもちろんコロナの影響もあったが、Aが二人目の子どもを出産、Tはスイスに留学中、Sはアグレッシブでいつも謎に忙しく、私は学生。恐らく高校を卒業してから一年間一度も集まれなかったのは初めてだ。
4人全員が集まらなくても個人的に会おうと思えば会える人もいるけれど、やっぱり全員で集まらないと会う意味がないような気がしている。それはきっと、恐らく他の3人も思っている。
今気が付いたが、高校一年のときに出会いあれからもう10年以上経っている。衝撃だ。もう歩きながら肉まんを食べることなどなく、腰を据えて酒を飲み交わし結婚や出産、保険や住宅ローンの話をしているが、出会って10年経っているということと同じくらい、中身は衝撃的に何も変わっていない。

深い話なんてしない。人生の話も、死生観の話をする人も彼女たちではない。ただ馬鹿馬鹿しい時間を与えてくれ、普通の20代女に戻してくれる友人たち。そして、どんなことがあっても味方でいてくれ、肯定してくれることを分かっている。私もずっと、彼女たちの味方だから。
今年こそ会わないと、いい加減話すことが溜まってしまう。でも、会えなくてもそれぞれの場所で頑張っていること、元気に過ごしているであろうことを知っている。同じプールで泳いだ3年間を思い出せば、容易に想像がつく。
みんな歳を取ったね。でもずっと変わらないでいてくれてありがとう。
恥ずかしくて面と向かって言うことはできないから、取り敢えずこの場を借りて。

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