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日本国憲法第六十七条

内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。
2.衆議院と参議院とが異なつた指名の議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は衆議院が指名の議 決をした後、国会休会中の期間を除いて十日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。

美しい写真を撮る人にも、軽やかに宙を舞うダンサーにも、誰かを救う技術や知識を持つ人にもなれなかった。だけど、ゆっくりと時間をかけて、自分の思いを、考えを、拙いけれど丁寧に言葉として表すことのできる人にはなったと思う。伝える気が全くないと言ったら嘘になる。でもそれが一番ではない。思慮深くありたいと、きちんと物事に向き合う人でありたいと、そう思ってとにかく自分を表現する術を見つけたかった。それが誰かに少しでも伝わったら、共感なんてしてもらえなくても、それで十分だ。

『文學界』の3月号に掲載されていた、哲学者の國分功一郎とオードリー若林正恭の対談が非常に面白かった。昨今の“多様性”に関して、二人は以下のように述べている。

若林
「多様性」とか「ダイバーシティ」とか言われているけれど、あれは「差別しちゃいけません」ということをみんなが共有しているだけで、多様なものを認めているわけじゃないんですよね。

國分
「差別はダメ」というのが共有されているだけで、多様なものが受け入れられているわけじゃない。

子どもの頃からずっと胸につかえていたモヤモヤが、少し晴れたような気がした。全くその通りだと同調するほど、私の胸のつかえはヤワではないが、読みながら「はぁ〜」と息が漏れるくらいには、理想に近い言語化ではあった。
持論では、「受け入れられていない」というより、「受け入れなければいけない雰囲気に呑まれているが本当はどうなんだろう?」に近いかも知れない。そして、さらに言うと「受け入れていると勘違いしている人」と「受け入れるべきと強く言う人」にある種の気持ち悪さを感じている。

育ってきた環境も、受けてきた教育も人それぞれ異なっている。小中と義務教育を受けていても、やっぱり家庭や学外での活動の比重も大きい。そんな中、大人になったからといって一斉によーいドンで全てを理解することなど不可能だ。
私の家族には障害者がいるが、30人のクラスの中で障害者とともに生活したことのある生徒は何人いただろうか。そして、そんな世界に触れないまま大人になった人が、彼らに対して私と同等の知識や理解があるとは到底思えない。
だけど、それを求めるのはもっと違うと思っている。知らないから仕方ない、とは一概には言えないし、だからといって無闇に傷付けるようなことを言う人はそもそもの人間性を否定せざるを得ないが、悪い意味ではなく理解する努力をして欲しいとも思わない。
あくまで個人的には、24時間テレビを観て泣いている人より、24時間テレビを偽善だと否定する人の方が嫌だ。半端な理解でもテレビに絆されて寄付してくれる人の方がありがたい。理解していようがいまいが、実働する方がいいに決まっていて、理解した振りだけをして知った口をきくような人とはちょっと距離を置きたいと思ってしまう。

私にだって知らない世界はたくさんある。例えばLGBTのことだって私は何も知らなくて、もしかしたら日常生活で使っている言葉が彼らや彼女らを傷付けている可能性だって十分ある。でも、知らないから仕方ないではなく、知らなくて申し訳ないと思える人間でありたいと思う。
理解する気がないのなら、中途半端に足を突っ込まない方が良いと思うのが私の考えだ。分からないなら分からないなりに距離を取って、センシティブな問題には口を挟まない。もし友人にそういった性の人がいて、自分のそういう部分を話したいという性格ならば話を聞いて理解をしてみたいと思うが、あいにく今の人間関係の中には恐らくいない。今のところ、本を読んだり誰かから学んだりと理解する努力もしていないし、私のできることといったら“無闇に傷付けないように気を付ける”ことくらいだ。

全ての事柄に答えなどない。意見など一致する方がおかしい。“多様性を認める”という言葉自体ちょっとおかしくて、誰に認められなくてもその人はその人だし、誰かに何かを言われる筋合いなどない。
そして同じように、「誰かに何かを言われる筋合いなどない」と言葉の暴力を振るっていい言い訳など一つもない。轢き逃げをした犯人のことは許せなくても良い。だけど、やっぱり「あいつは死刑になるべき」と言っていい人などいないのだ。人の罪を裁くのは人ではなく法だ。

色々と書いたが、今回の対談を読んで哲学に少し興味を持った。哲学とはなんぞや?レベルの人間にお勧めの本などがあったら読んでみたい。

長年聞き続けてきたラジオと大好きだったテレビ番組の同時終了で大分心がやられてるが、面倒くさい文章とともに今日も生きている。

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