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日本国憲法第十九条

思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

一体憲法には何度「自由」という言葉が出てくるのだろう。それでも度々「自由とは何か」という論争になるのだから、やはりその定義は難しいのだろう。

とはいえ、私もこの空間で表現の自由を思い切り行使し奔放に言葉を並べている。特別な思想などなく、安易に憲法なんて取り扱っているが、見ての通り本文は全く関係のない内容ばかりで、当然右だの左だの、そういったことも考えたことはない。




自由を否定するつもりはないが、こと表現の自由ということにおいては些か疑問もある。当然何を考えようと自由だが、それを表して良いかどうかは当人の倫理観による。誰かを傷付けるような表現は、自由云々より前に考えることがあるだろう。

どんな服を着ようと自由だ。そして、その服を見た人がどう思うかももちろん自由。だけど、それを口に出して言うのか、または本人のいないところで陰口を叩くのか、相手が傷付こうがお構いなしで発言するのはやはり間違っている。それを「表現の自由」と大手を振って歩くのはおかしい。

私は小学生の頃から、母親に散々言い聞かされてきたことがある。
「嫌いな人がいてもいい。人間だから、もちろん合う合わないはある。だけど、それを人に言ってはいけないよ。どうしても嫌なことがあったら、家に帰ってお母さんに言いなさい」
決して、「みんなと仲良くしなさい」とも、「嫌いになってはいけない」とも言わなかった。小学校の教室などこの世で一番小さく、恐ろしく、残酷な社会だ。誰か一人が放った一言で、翌日からの過ごし方があっという間に変わる。





自分の好きや嫌いを、自分の感情を否定することはない。だけど、それを世に放つということは誰かに共感を求めるということでもある。
本人にはそんな意識ないかも知れない。だけど、テレビの中で、教室の隅っこで、インターネットの海で、無意識に発した言葉が少なからず誰かに影響を与えることを、誰かを傷付ける可能性があることを、忘れてはならない。

別に何を言われても気にしなければいい。分かっていてもそれができないのが普通だ。そして、「何を言われても気にしない」と人々の前に立って言える人はそれはそれで排他的で、見えない誰かを追いやっている。
私も基本的には周りを気にしないスタンスだけど、それを振りかざしてはいけないと言い聞かせている。

他人の自由を守ることはきっと自分の自由を守ることくらい大切で、自由を得たいなら律することを知らなければいけない。
28年間生きてきて、学んだことのひとつ。





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