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日本国憲法第四十五条

衆議院議員の任期は、四年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。

4年、4年…と脳内で反芻する。
18歳から22歳まで通った大学時代の記憶は、もはや薄れつつある。2011年の4月に入学予定だったはずが、東日本大震災の影響で1ヶ月遅れ入学式もなくなった。

卒業間際の3月まで大学受験にしがみついていた私は、高校3年の3学期は一日も授業に出ず卒業式を迎えた。受験が終わった順に教室に戻るシステムだったため、私はいつも適当な時間に登校し教室ではなく図書館に通う日々だった。
予定では受験が終わり卒業式までの約一週間は3年J組の教室に通えるはずだったが、その間に東日本大震災が発生。全員自宅待機が命じられ、卒業式も延期になった。

3月末、やっと執り行われた卒業式は在校生も保護者も参加しないただの学年集会のような形だった。当然体育館ではなく多目的ホールのような場所で、練習もリハーサルもなく本番前に軽く流れだけを確認し、あとはただのやっつけのような式だった。卒業生が次々と壇上に上がり、流れ作業のように卒業証書を受け取る姿はさながらベルトコンベアーのようで滑稽だった。
一応家族に見せる用にビデオ撮影だけはしており、たまたま私の席の真後ろにカメラがあったようで、そんなことはつゆ知らずぐっすり眠りこけ座席からずり落ちそうになっている私の姿がばっちり映っていた。震災直後のまだ暗い雰囲気の中、家族で爆笑しながら卒業式のビデオを見たのは良い思い出だ。

卒業式のあと、クラスで何かが行われていたのか今となってはもはや知る術もないが、一方私は帰り際学校の地下にあるロッカーで靴を履き替え、そのまま手に持った上履きをロッカーのゴミ箱に突っ込んで帰った。3年間クラスに友達はおらず、それでも毎日真面目に通い一度も休むことなく、遅刻や早退もせず、ただただ真面目に過ごしてきた高校生の、最初で最後の小さな悪事だった。




受験が終わり、何もすることのなかった3月。
入学式が延期になり、再び暇を持て余した4月。
昼間は節電のため部屋の電気やテレビはつけず、外から入る陽の光だけで本を読みながら過ごした。だんだんと日が落ち、文字が読めなくなっていったことでいつの間にか夕方になっていたことに気が付いた。
計画停電地域に入っていた我が家は、夜になっても電気が使えないことがあり、早めに夕飯や風呂を済ませたり、蝋燭の光のもとでカレーを食べたり、室内なのにコートやダウンを着て過ごす日があった。

同じCMばかり流れ、凄惨な状況を見せつけてくるテレビに辟易とした。本当か嘘か分からない情報が流れ続けるSNSに疲弊した。見なければいけない現実から目を逸らすことで、私たちは生きてきた。




4月、福島から避難してきた多くの人たちがさいたまスーパーアリーナで寝泊まりをしていて、そこで過ごす子どもたちと一緒に遊ぶボランティアを募集していた。当時、東北に足を運ぶボランティアの人たちの姿が度々報じられた。渋滞や不要な物資の問題等、ボランティアという存在自体の賛否が問われていたが、それでもやはり家で本を読みながら一日をやり過ごすだけの自分にえも言われぬ罪悪感を抱えていた。
母が持ってきたボランティア募集のチラシを見て、これならば自分でもできるかも知れない、少しは自身の罪悪感を軽くできるかも知れないと、不純な動機で参加を決めた。

集まった10人ほどの子どもたちとともにスーパーアリーナを出発した。不自由な生活を強いられていたであろうに、皆その顔は晴れやかで満面の笑みを浮かべていた。その顔を見ただけで泣きそうになった。
また、行ってらっしゃいと手を振る親たちの顔も同様に清々しく、四六時中子どもとともに過ごさなければならない大人たちが当然そこにはいて、彼らの時間を少しでも確保してあげられるのだなと初めて気が付いた。

たいして大きくもない公園の中にある、更に小さな動物園には、ライオンも象もキリンもいない。30分もあれば全て回れるほどの規模の動物園で、見渡しても鳥や小動物しかいなかったが、楽しそうに駆け回ったり熱心に絵を描く子どもたちの姿を見て、申し訳なさや恥ずかしさも吹っ飛んだ。
20年近く住んでいても、“住みやすい”以外にプラスポイントが見つからない埼玉という地に何があるんだと思いながら街を歩き回ったが、必要なのは魅力的な動物園でも立派な公園でもなく、まだ幼い彼らに突きつけられている現実から少しでも引き離してあげることや、見知らぬ土地で楽しい時間や思い出を作ってあげることなのだと感じた。

そしてボランティアに参加した私たちも、彼らと同様に、もしくはそれ以上にこの時間が必要だったのだ。どれだけパワーをもらったか、どれだけ救ってもらったか、あのとき上手く伝えられなかったことを今少し後悔している。


4年をテーマに、大学時代のことを書こうと思ったが思いのほか長くなってしまい入学まで辿り着かなかった。
特別な年の、特別な経験は今も色褪せることなく脳内に焼き付いて離れない。良いことも、悪いことも。

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