見出し画像

日本国憲法第三条

天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

1992年生まれの私にとって、歴代内閣のうち最も古い記憶の中に存在しているのは第84代の小渕元総理である。『平成』という書を掲げたことが有名だが、実際は官房長官時代のことで、しかも私はリアルタイムでは目撃していない。

「良くない若者」だとは思うが、選挙には行ったり行かなかったり、という感じだ。とくに新卒で就職してからの3年間はハードな毎日で、土日も仕事だったためわざわざ貴重な休日を使って帰省し、選挙に行こうという気にはならなかった。住民票を実家から移していない自分が悪いのだけど。
もっともらしい理由を加えるならば、どの政党を支持する、もしくは支持しないという明確な意志を持てるほど、政治に対してきちんと考える時間がなかったとも言える。ならば白票を入れれば良いのだろうが、それこそわざわざ帰省して白票を入れに投票所まで行くというのはさすがに馬鹿らしいと思ってしまった。


最近は「とてもきちんとした」人間である我が姉に誘われ、ちゃんと帰省して母と姉と共に3人で投票へ行く。一応新聞やネットで公約を読んだりもする。
だけど、政治に対する熱はやっぱりそれほど高くはない。

「投票に行ったって何も変わらない」と思っている訳ではない。どちらかというと、やっぱり大切な一票だと思っているし意志も反映されると考えてはいる。
その上で、「別に何でもいい」と思っているのだ。
きっと子どもが生まれたり家族がいれば違うのだろうけれど。未来の社会について、子どもたちが生きていく世界について考えたりするのだろうけれど。
独身の今は、今生きている時代と自分のことしか考えていない。

誰かが決めたことを守ることにほとんど抵抗がない。レジ袋が有料化しようと、ああそうなんだと思うだけだし、終電が早まってもじゃあ気をつけなきゃなと思うだけだ。
給料から差っ引かられる何万もの税金も、いずれ自分のためになんて思わないが、「そういうもの」としてただの文字面として認識している。取り敢えず手取りだけを見て、今月生活していけるかだけ考える。

全部決めてもらっちゃって構わない。法律も、政策も、明日着る服も。それに従って、日々仕事や食事をし酒を飲み、毎日生活するだけだ。


天皇が変わり、令和になって約1年半。未曾有の事態は今もなお続き、生活様式も去年とは全く違う。
菅総理に変わってから一ヶ月が経ったが、相変わらず支持も不支持もしない。

私は自分が両手を広げた範囲くらいのことまでしか考えられない。世の中がどう変わっても、恐らく私は何も思わない。何も変わらない。
そんな無気力な28歳女が毎日取り上げるテーマが「日本国憲法」とはね。この矛盾はどうしたものか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?