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日本国憲法第六条

天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

髪を切った。ショートにしてから襟足が2センチでも伸びると気になるようになり、髪を乾かすときに手に取れる髪の量が少しでも多くなるとすぐにでも切りたいと思うようになった。
元々毛量が多いということもあり、ボリュームが出てしまうのもショートにしてからより顕著になった。美容院とウィンドウショッピングが死ぬほど嫌いだった私も、齢28にして少しだけ成長し美容院に通える大人になった。ウィンドウショッピングは相変わらず死ぬほど嫌いなまま。

女性のスタッフの方が雑誌がインストールされたタブレットを用意してくれた。担当の美容師さんが来るまで適当に表紙を眺めていたが、女性ファッション誌には目もくれず、「男の車中泊」という見出しの雑誌を見つけ、読み耽った。
ページを捲るといつか乗りたいとずっと思っている車が紹介されており、やっぱりいいなあ、車買い替えたいなあ、でも取り敢えず今の車を手元に置きたいなあ、なんてぼんやり考えていた。気付くと後ろに担当の美容師さんが立っており、もしやいくつもの車が掲載されているページを見られたのでは?と少し焦った。

混雑を避けるため、人気の企画展が行われている美術館にはまだ行けていない。当然対策はきちんとされた上で開催に至っているのだろうし、別に行ったって構わないのだろうが、やはりこの毎日の生活に支障をきたしたくないと思い「行かない」選択をしてきた。
しかし、テストも終わり久し振りにのんびりとした休日。天気も良い。気候も良い。どこかへ出掛けたいという思いが募り、前々から行きたかった「印刷博物館」へ足を運んだ。
完全予約制だったため、オンラインで朝一のチケットを取った。

朝10時。江戸川橋駅から歩いて7,8分。凸版印刷の立派なビルが見えてきた。やや見つけにくい入り口から中に入り、受付でオンラインチケットのQRコードを見せ展示室に足を踏み入れる。
見事だった。見事に自分一人しかいなかった。
平日。朝一。予約制。
条件は色々ある。だけど、広い展示室の中に私一人しかいない空間はあまりにも贅沢。驚きと感心で少し笑いそうになった。

展示はどれも興味深くとても面白かった。印刷の歴史が年表になっていたり、昔の印刷方法が映像や写真で分かりやすく表されていた。中でも浮世絵の印刷方法はその美しさを表現するための工夫がたくさんあり、足を止めてしばらく眺めていた。
特別展の『現代日本のパッケージ2020』は「◯◯デザイン賞」といった賞を受賞した、普段コンビニなどでもよく見るお菓子や洗剤などのパッケージが展示されていた。アンディ・ウォーホルなどのアメリカンポップアートも当時は「芸術ではなく商業デザイン」などと揶揄されていたらしいが、今や完全に芸術作品として多大な評価を受けている。
お菓子も洗剤も普段はパッケージなどほとんど見ないが、これも誰かが考えてデザインしたものなんだよなと考えるとこうやってきちんと評価されて然るべきだと感じた。


出かける前に見たアメリカ大統領選の話にしようか、美容院ではいつも同じ人を指名している話にしようか。もはや連想ゲームと化した憲法との関わりだが、せっかくアートに触れた日だったので千住博の裁判の話を。
ようやく池上彰の『超訳 日本国憲法』を読み始めたのでそろそろちゃんとした話もしたいところだが、取り敢えず今日のところは「裁判」というワンワードだけに引っ掛かることにする。

軽井沢にある千住博美術館に訪れたのは昨年の夏だった。美しい自然に囲まれたその建物は西沢立衛の設計で、中に入る前にその複雑な建物の周りを一周したがその全貌は謎のままだった。
作品の素晴らしさは言わずもがな、巨大な絵に圧倒されつつ、その繊細なタッチには目を見張るものがあった。更に作品の展示方法にも工夫があり、空間と絵がごく当たり前に存在している様がとても良かった。
絶対にもう一度訪れたいと思う美術館の一つで、彼の作品をこれからも見続けたいと心底思った。

千住博とギャラリーを運営する会社との間に起こった争いのことを知ったのはWEB版美術手帖の記事だった。「裁判」「契約」などと、普段の美術手帖の記事からは見慣れない文字が並ぶ。
たまたま彼が著名なアーティストだからこうして大々的に取り上げられただけで、こんなことは日常茶飯事なのだろう。だけど、やっぱり嫌な気分にはなった。見たくないものを見てしまった。

当然無償で活動はできない。美術館やギャラリーの運営もできない。そこにお金が発生しているから、利益を生んでいるから、私たちはアートを自由に楽しむことができるのだろう。
美術館は非日常の空間を楽しむ場所で、そこに日常の時間は流れていない。例え明日会社に行かねばならなくとも、美術館にいる間は「ただ絵を見つめているだけ」の自分だ。

トラブルが起きようと、アーティストが犯罪者になろうと、作品の価値は変わらないし私がそのときに見た記憶も変わらない。それでも、やっぱり日常と非日常は切り離して欲しい。分かっていることも、分からせないで欲しい。そう願ってしまう。


「視界が明るくなったでしょう」
仕上げに前髪を切り終えた美容師さんが私に話しかけた。瞑っていた目を開き、鏡を見ると少年のような髪型の自分がいた。一度ショートにすると感覚がバグってしまうのかタガが外れたようにどんどん短くなっていく。
しかし確かに視界は明るくなった。頬にもうなじにも触れない髪。今CMで見た佐藤健よりも短い髪。

印刷の歴史を学び、髪を切り、憲法について考える休日。
仕事をし、授業を受け、お酒を飲む日常。
良くも悪くもない毎日だけど、ちょっとだけ面白い今日この頃。

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