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日本国憲法第三十三条

何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。

昨日観たテレビの影響でどうしても蕎麦が食べたくなり、深大寺まで行って蕎麦を食べてきた。食べたら満足して結局本堂までは行っていないけれど、天気も良く参道をぶらぶらしているだけでも楽しかった。穏やかな休日。
帰宅していつも通り授業を受けて今はぐったりしているが、取り敢えず金曜日が終わり一段落。仕事的には明日が週始めになるけれど、楽しい土日出勤、まあ何とかいけるでしょう。

穏やかな生活。それこそが私の望む日々。
それなのにこの一週間で色々なことが起きて、頭痛は収まらないし温熱蕁麻疹なのにシャワーを浴び続けてしまっている。お陰で身体中痒くて真っ赤だ。自分ではどうにもならないことが降りかかると、基本的には旅に出ている私の感情も一時帰宅して大騒ぎする。
事あるごとに「可愛ければ解決することばかり」と呟くのは、顔面だけの話ではなく内面も含めてのこと。それが顔面からくる可愛げのなさなのか、それは卵が先か鶏が先かの話にはなるけれど。

自分の顔を見続けなければいけないのが苦で、ドライヤーやヘアセットの時間を短くするために髪をばっさり切ったり、この顔に似合う服なんてないと突然クローゼットの中の物を大量に処分したり、それはもう思想としては可愛げがないというより狂いに狂っている訳だけど、結局そこから抜け出すことなんてできないのが現実だ。どこまで戻ればいいのか、ここからどうやって軌道修正していけばいいのか、はたまたできるのか、何が何だか分からない。




他者を傷つけることは許されることではない。正当防衛でなければ当然犯罪にはなるし、罪を償わなければいけない。
では、自分自身を傷つけることはどうだろう。

ピアスホールを3つ空けた以外は自傷行為に至っていはいない。剃刀もカッターも自身の身体に当てたことすらない。だけど、自分の心に付けた傷はどんどん深く、大きくなっていきもう修復不可能になってしまっている。
過去の自分を恨むことはしない。後悔しても仕方ない。だけど、今の自分にならない方法はどこかにあったはずなのだ。きっと、どこかに。




自己嫌悪の渦に巻き込まれて溺死しそうになったことが何度もある。いつしかその渦ともうまく付き合い、息継ぎができるようになった。でも、それは根底に穏やかな生活があることが大前提だ。
ちょっとした感情のブレで足元がぐらつき、再び自己嫌悪の渦へ。
息が苦しい。息ができない。

ああ、こんな夜は久し振りだ。また会ってしまったねと苦笑するが、チューハイ一杯では帰ってくれない厄介な奴。困ったものだ。

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