骨折って損得④ リハビリ

「骨折なんて骨治すだけ」
と思っていた。
怪我をして1ヶ月の間、腕が動かないのは、ギブスで固定されているからだと思っていた。(実際そうだ)

しかし、ギブスが取れたとき、私は愕然とした。

腕が動かない。

1ヶ月固定していた私の腕は、筋肉が凝り固まってカチカチになってしまっていた。

私はショックを受けた。
でもすぐに、
「リハビリをがんばれば戻る」
と思うことで持ち直した。

しかし、またしかし。
私はやったことのないリハビリをなめていた。
そして、すぐにその過酷さを知り、腕が動かないという現実からは、簡単に逃れられないことを知り、失望を感じた。

腕の筋肉を動かすのは、まるでストッパーのついた車輪を動かすような感覚だった。
無理に力をかけると今までで経験のない痛みが走る。
それを我慢して続けると、治りたての骨に悪い影響を与えかねない。
でもどうしても動かそうとしてしまう。

いままでは動いたのに。私の腕なのに。私が動かせない。全然動かない。
その感覚はとてもつらい。
つらいんだよ。

リハビリの先生によるマッサージは、週に1回30分。そこで少しずつは改善される。でも、基本的には自分でリハビリの時間をとるしかない。
朝、お風呂に入っておかないと、ガチガチの筋肉と1日を過ごすことになってしまう...

弱った。

でも、いずれ元に戻る。
筋肉が固まったことは直接的にはケガとは関係なく、治療の過程で凝り固まっただけなのだから。

でもでも、そうわかっていても、動いたはずのものが動かない感覚は歯がゆい。
角度でいえば1日で2°や3°の変化である。改善が目に見えない焦りから、ムリに腕に負担をかけてしまう。(痛い)

だって、筋肉のコリが治るかどうかは私しだいなのだ。
そっとしておいても、生活のなかで少しずつ治っていくのかもしれない。
でも、そんな悠長なことは言ってられない。

1回1回に、しっかり時間をかけてリハビリできるかどうか。
退屈だし、進捗もよくわからないし、一人暮らしの部屋で孤独だし。
自分が真面目にやっているのもわかっている。先生も褒めてくれている。
それでも。

腕がうまく動かないのは自分の責であると、感じないわけにはいかなかった。
早く治したい、この不便さから解放されたい、その思いが、無意識に私を責めた。

リハビリ中の失敗。
私のいつもの空回りクセがここでも発動した。
今回のリハビリはストレッチというより、マッサージが重要だった。それなのに、マッサージを軽視して動かすばかりをしてしまっていた。

正しい手順はこうだ。
腕を動かした時に突っ張る部分があるので、その凝っている筋肉を押して刺激する、すると、そこが柔らかくなってくる。
そこでまた動かすと、新たにブレーキをかけている部分がでてくる、そこをまた押す。これをずっと繰り返す。

例えばヒジまわりの筋肉が凝っているのだとして、まずはそれをほぐす、そうすると次は、前腕の筋肉が突っ張る、その次は上腕の裏側の筋肉が突っ張る、その後はヒジの周りの筋肉のさっきと別の一本が突っ張る、というその繰り返しで。

腕の筋肉は複雑で、こっちをほぐしてはあっち、あっちをほぐしてはそっち、という感じで、点々とした筋肉のコリを丁寧にほぐしていく必要があった。

しかし私は最初、一辺倒に無理やり伸ばそうとしていた。だから、凝った部分が凝ったままでずっと痛い、その痛さを効いていると勘違いして、痛いようにやり続ける。
だから、痛いままずっと良くならない。
そんなことを2週間やってしまった。

もっと筋肉というものに向き合う必要があった。

固まった筋肉、一本一本すべてをマッサージしてやわらかくする。
筋肉の複雑さに驚かされた。

どこかをずっと刺激するのではなく、凝っている部分を探り出し、ほぐし、また別の凝っている部分を探り出し、ほぐす。どこか一辺倒ではよくならない。
すべては連動していて、バランスよく的確に問題に対処することが、効率的な回復への手がかりだった。

これは、人生にアプライできる教訓だ。何か一つに傾倒することも重要だけど、私、いや自然をつくる全部は連動していて、バランスよく調節をする必要がある。
そうすることで、強く柔軟に動けるようになる。
何事もそればっかりやってしまう私にとって、とても大切な教訓になった。

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