個人の時代における標準化について

属人化
会社に入ってから始めて知った言葉だ。
対になる言葉は標準化。みんな大好きスタンダード。誰がやっても同じ仕上がり、同じ効率。

私は仕事上、標準化を進める身でありながら、実は標準化が嫌いだ。理由は、個性を殺していてつまらないから。人間くさい方がおもしろいから。それだけ。

属人化のわかりやすい例は芸術家や職人だ。その人にしかできないことがある職業。

一方で、単純作業や軽作業にはマニュアルを設定して、そのマニュアル通りに指導をすることで間違いを防ぐ。これは、多くの人を管理する上で重要な考え方だ。

でも私は、それならロボットでいいじゃん。と思ってしまうのだ。
標準化は癖を許さない。決まったことを決まった通りにできる人を好む。
決まったことを決まった通りにやるならロボットでいいじゃないか?
人間を労働力としか見ていない考え方。
それが標準化。

もちろん、例えば作業能力20の人や30の人を適切なマニュアルと教育で全員50にできるのであれば、それはいいことなのかもしれない。もっというと安全に関してはリスクを極限まで減らさないといけない。そういう意味では、標準化は重要だ。

一方で特別な人というのは属人的だ。ウルトラマンになれる手順書はない。イチローと同じ練習をしてもイチローにはなれない。
だから、個人個人が自分のなりたい像をイメージして、それになっていかなければいけない。それが個人の時代でもある。

そう考えたところで、スタンダードが得意なのは、苦手を埋めることなのだと気づいた。やり方がわからないこと、うまくできないことに、最良の手順があって、それをやってくれればどんなに楽だろう。
私は掃除のやり方でよく悩むのだけど、この洗剤とこのスポンジがあれば落ちます、みたいなのが簡単にわかればいいのに。

とかいって、苦手を埋めるというのはやっぱりロボットの役割なのだ。ルンバみたいなお掃除ロボが、水周りの掃除もしてくれればいいのにね。

長所は属人的に伸ばしていい。ただ、それを伝えたいのであればそれをマニュアル化する必要はあるだろう。そうして、自分がいなくても他の人の短所を補わないといけない。
逆に短所を持つ身としては、人からノウハウを学ぶ。

上司も部下もできることは、やり方が違おうといいのだ。
サポートが必要なとき、そのサポートなしで動ける、動かすためにどうすればいいかを考えることが、底上げにつながる。
長所はオリジナリティを持って伸ばして行きたいね。

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