【乳がん/余談】病気マウンティングを科学する
よく銭湯に行く。そこはお年寄りのパラダイスと言われている有名なスーパー銭湯。
で、のんびり昼間風呂に入っていると、そこを社交場とするおばあちゃんたちが色々なお喋りに花を咲かせる。
何の気なしに耳に会話が入ってくる。その中でもあらゆることの「不幸自慢」が意外と多いのだ。
不幸にも色々な種類(苦労してきたとか)色々あるが、病気や不健康マウンティングも結構な頻度で登場してくる。
健康診断で再検査だった。
すると被せて別の人が、再検査を軽いものから重たいものまでやったという。
さらに別の人が、自分は造影剤を打ってMRIを撮った。
するとさらに別の人が、自分は胆石の手術をした。入院をしたし大変だった。
最初の人が、今度はなぜか遠い知り合いの話を持ち出し、難病で苦労している人がいる話をしだした。
終わらない。
そしてそれを聞いていたワイ。
「いやいや!造影剤もやったし、何なら初期だけどガンやったし、両胸なくなってるからな!!!!!」
…と、気付いたら心の中で婆ちゃんたちのマウントに参加していた。
あれ?
何で病気で優劣つけたくなるの?
原因は承認要求
自分の存在を他者に認めさせたい時に、相手を落として自分の存在価値を実感するマウンティングは多い。
それを起こす根底には「自分に自信がない」から。
これはわかる。
しかし調べてみると、心理学者のアドラーが面白い話をしているのを見つけた。
「優越コンプレックスと劣等コンプレックスは繋がっている」
つまり、人より優位に立つことと同じくらい、人よりも不利なことにも何と人間は価値を感じてしまうというのだ。
自分の身に降りかかった不幸が大きければ大きいほど「自分は特別だ」と思ってしまい、それが自分は特別だという優越感に繋がってしまうんだそう。
病気や不幸が大きいほど「それは人には無いもの」として優越感を感じてしまうんだそう。
…。
マウントなんか考えたことはなかったが、その不幸自慢をしているおばあちゃんたちに対抗意識が芽生えたのは事実だ。
その原因が、マズローが唱える「要求5段階説」の4つ目である人間の本能『承認要求』の特殊な派生版だったとは…。
承認要求とは何のためにあるのかと思ったけど、調べてるとより優秀な種を残すために人間を競わせる本能なのかなと思った。
家族やコミュニティで認められる、競合意識があることで高め合う…などなど。
それがあるからこそ、生き物は成長するし、その派生で相手に負けたく無い、自分が優位に立ちたいとマウントをしてしまう。それはわかる。
だが、不幸や病気などマイナスのものに対して、自分は人よりも自分の方が大変だと特別感を感じてしまうのは、この承認要求の本能を完全にこじらせて勘違いした進化系なんだな、と思った。
だってこの承認要求は生物学的な進化や成長に全く関係しない。
でも本能的に何に対しても競ってしまうので、それがマイナスのことであっても巻き込まれてしまうのだ。
特に不幸なことや、病気は努力では得られない分、ある意味希少価値が高い。
それを自分だけが持っているという事実に対して、こじらせた承認要求が働いてしまうんだろう。
病気なのに自分の方が大変だから!と思ってしまったマウントの気持ちはどこから湧いてくるんだろう、と不思議だったのだが結論は「本能である自己承認欲求が、本能であるがゆえにマイナスのものですらそれを感じさせてしまい、こじらせた」なのかな…と思っている。
原因が分からなかったけど、色々原因を知ると実にしょうもない…。
そして人間の本能ってほんと本能だ。
なりふり構わず、理性が負けて引っ張られるんだな…。