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子どもたちの日本語のみだれについて
「ワンチャンワンチャン」
と、子どもたちが言うのを私はきいた。子犬でもいるのか、とおもってあたりを見回したが、そんなものはいない。小雨が降っているだけである。
「ワンチャンワンチャンワンチャン」
「ワンチャンワンチャン」
「ワンチャン」
と、子どもらは言っている。どうもお互いに話しているようなのである。犬みたいである。
これは、なにかの法則があるのだろうと思い、私は言語の達人のようなところがあるので、聞いて、すぐ分かった。
これは「もういっかい」とか、「あといっかいだけ」とか、「いや、いける」「あきらめるな、がんばれ」とか、「つぎこそだいじょうぶ」「さきっぽだけでもいいから」とか、「今度産むないけど、きっとだいじょうぶ、たぶん」
きりがないのでやめるが、ニュアンスとしてはたくさんの意味があるのである。
日本語は、ひとつの音声にたくさんの意味を込めるのが得意な言語である。
たとえば「ヤバい」とか「かしこ」とか、「おそろし」「こわ」とか、形容詞にとくに多くみられるが、真逆の意味を同じ文字、同じ音声で表現することがある。
それは別にいいのだが、子どもたちの会話を見、聞きして私は大いに嘆くのをやめることができなかった。嘆声やまざることあたわず、といった感じである。
私は以前、古典の大切さを説いた。
「ワンチャンワンチャンワンチャン」「ワンチャンワンチャン」「ワンチャン」
と会話するこの子らが、このまま、古典も読まずに成長したら、と思うとゾッとする。古典はひつようない、時間の無駄、コスパ悪い、という意見もあるが、矢張りそれは間違っている、と思わざるを得ない。
古典学習を排せば、将来、日本人はワンチャンワンチャンワンチャンワンチャンワンチャンワンチャンワンチャンワンチャンワンチャンワンチャンワンチャンワンチャンワンチャンワンチャンワンチャンワンチャンワンチャンワンチャンとばかり話す人ばかりになってしまう。
「ワンチャン」はいっときの流行で、それにかわる言葉もできるのだろう。しかし、かわったところで同じである。日々、語彙力はどんどん失われている。おとなにしてからがそうだ。
私は、それではいけないと思う。いくら文明が栄えようが、ことばも知らない人たちの間で生きていくのは、はっきり地獄である。