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【連載小説 短篇予定】美の骨頂㉛果たしておっさんに百合を描写することはできるのか......Yuriko Takeda

 できます。余裕です。

 2017年(平成29年)、うちは那覇東高校の2年生でした。

 東高は当時珍しくセーラー服じゃなくて、あれでした(名称が出てこない)。スカートには曙色の糸があしらわれ、これは東なのでやうやうあけゆくなんちゃらという感じでした。

 あ、はいはい。ブレザーでした。那覇西高校(実在)も、ブレザーだったかな。セーラーか。不明です。

 東と西、あるいは西と東をはさんで、那覇の中央に那覇高校(実在)というのがあり、これは県立二中と呼ばれていました。ちなみに一中は首里で、三中は名護です。すべて実在します。

 おとうは一中、おじいとおばあは三中の出です(実話)。

 それはさておき。うちは東で、書道部で、エーリー先輩のおさがりの制服を着て、ほとんど病気もせず、クラスでも目立つこともなく、目立たないこともなく、文化祭ではクイズをやるというメイトに反して、なっちゃんとふたりで「幽霊話としょかん」というコーナーを作りました。

 これは教室のコーナーに箱男風のダンボールでつくった小部屋で、放送室から電線を引き、来場者から投稿された「幽霊話」を校内放送をつかってずっとしゃべり続けるという企画でした。勿論、小部屋内には蝋燭が灯されていました。約百本(じっさいは7本)。

 この企画は大いに当たり、というのも「幽霊話」というのは世につれ、またカタチを変えて、いつまでも残っているからです。

 うちとなっちゃんは交代でこの朗読をしましたが、一日目の午前中にはふたりとももう声がでないようになりました。そこで、桃子、JJ、お嬢、子宮内制度、くみこ、パッキーなどが代役となり、それでも次々に声帯をいわしたので、結局南極博士というクラスメイトがパソコンを持ってきて、打った文字を機械音声で読み上げるという方法にしました。

 この、博士というのはクイズ担当でもありましたが、機械を使ってすでに八百万通りの問題を作成しており、その後は文章入力者として大活躍をしました。

 ちなみにこの博士というのは筋ジスの子で、その声を聴いたものは三年間に八人しかいないといわれていました。実をいうと、この八人にうちとなっちゃんは含まれています。

「あー、できるよ。打てばいいし」

 というのがそのときの博士のコトバです。

 うちは今でも、このときの博士の発話を心にとめています。

「できるよ」

 と。

 そう。やればできるんです。何だって。ぐちゃぐちゃ文句ばっかし抜かすな。と、自分に言い聞かせます。

 博士はまだ生きています。ネットで繋がってます。

本稿つづく



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