文章というのは、不思議なもので、自分勝手に書いたはずなのに、書き上げると誰かに見せたくなる。
いま、平成四年の夏に書いているおれが、未来のおれに書いているように。
一気に参号まで書き上げて、おれはこれを、衆目に晒そうという気分を抑えることがどうしてもできなかった。
おれは職員室に行った。「失礼します! H先生にいわれて、コピーをとりにきました」
と言った。
H先生というのは古文・漢文の先生で、おじいで、禿げていた。
「あー、はい、どうそ」
と、職員室にいる先生にゆるされて入室し、おれは『シークレット・オブ・マイ・ライフ』の壱号と、弐号、参号をそれぞれ、三十枚ずつ印刷した。
そして、その三十枚を、まず、放課後、校内のあちこちに貼った。廊下とか、トイレの壁。女子トイレにすら入った。使命のためには躊躇うことがなかった。
おれは自分の書いたもの……果たしてほんとうに自分が書いたのかもよくわからないこの文章の価値を、理解していた。
これは、読んでもらわないといけない。
S高には全校生徒が1,800人ほどいた。うじゃうじゃと、いる。渡りに船だと思った。おれは700人ぐらいを念頭に書いていた。そのうち300人に読んでもらおうと思っていた。その人たちが、読めてくれたら本望だと、本気で思っていた。
シークレット・オブ・マイ・ライフ 壱号
本稿つづく