【スケッチ】不登校ここの部屋⑫生きるとは何なのか
墓場にいるということは、生きているのでも死んでいるのでもない。思い出されているという状態である。
なのでいま、ここと凪子、桃子とJJは人の記憶のなかにいるのである。この記憶のなかでぼんやりと、なにものでもないやうな状態で
しかし、生きるというのは思い出されるのではなく、思い出すものである。或いは、思うものである。
おのおの、年端もゆかぬ子どもながら、この子たちはそれを知っていた。
バチバチバチッ
と墓の中を間歇的な光が瞬いた。ディスコ状に。
「あまっ」
とチョコレートを齧ったここが言った。
バチバチバチッ
これは物理的な電気現象であり、人が思い出すときになんとかという物質が摩擦を起こしておこるのである。
人魂というのがあるが、このエネルギー体の発生はあくまで生者がわにある。生者が死者を思い出すのでおこるのである。
バチバチバチッ
なので、これは今、この子たちが何かを思い出していることと、誰かに思われているから電気が現象として遊弋しているのである。
ここはあの、丸坊主の男子を思い出していたし、丸坊主の男子もまたここのことを想っていた。
というか、ここは結構目立つ存在だったので、いろいろな人の記憶のなかでおもいだされているのである。まるで掻き回される黒糖のように。
ここ、とわたしは話しかけた。
「なに? だれ?」
おまえに言葉を教える。それとリズムを。いいか、言葉とリズム以外は、この世には何も無い。実体がない。とどまりたるためしがない。すべては流れて、去ってゆく。変わる。あの太陽のように、そして月のように。すべては変わり、エネルギーを発生させ、それから死滅する。
おそれることはない。なにも減らないし、なにも増えない。移るだけ。移動するだけなのだ。理由は定かではないが、そーゆーことになっている。
花の色はうつる。あたりまえのことだ。
人は歩くし馬は走る。
馬はただ、走るためだけに生まれてくる。猫は炬燵で丸くなる。そして水のように移動する。
そう。移動するのである。
本稿つづく