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【考察】5311の法則の詳しい解説と現代の神(金)について(中篇)

 こんばんは。ドクター・JJです。

 ここでは「超越的な存在」についてお話します🥺

「超越的な存在」

 文明が本格的に機械化されるのと同時に、一般的な常識として「神」は死にました。これは仕方がないことです。わたしたちの認識や旅がこの星の津々浦々までおよび、どこにも神らしい痕跡は見つかりませんでした。いやあるのですが、見えにくくなりました。

 それまで全体の半分を占める普通の人たちの手本は「超越的な存在」でした。それを提示したのが宗教です。

「神」が死んで以来、全体への宗教の影響は一見弱まったように見えますが、逆に、個々への影響は強まりました。その塩梅を知覚した人々は、あらたに宗教を改革し、大儲けしました。

 日本という国は、現在無宗教とされていますが、明治以来、天皇家を中心とした神の国です。令和の現在も。これは天皇家が続くかぎりつづきます。

 それはさておき、5・3・1・1の法則に戻りますと、「超越的な存在」は、1・1です。これはだれもが持っている資質であり、同時に全体においてもそんざいする実存です。

 この1・1は聖と悪ですが、同時に陰陽として2としての存在でもあります。どちらも「超越的な存在」として意義があります。

 現在この「超越的な存在」は、等閑視されています。無視されているのです。かつてにくらぶると、ずいぶんとその地位を下げてしまいました。モデル・ロール、目標や目的というものが姿を消し、現状跋扈しているのはその前段階の「手段」です。

 手段を択ばない、という態度が英雄視されてひさしいです。

 手段のために、手段をえらばない。これが現在の英雄の姿です。かっこいい。クール。ドープです。

 目標は目的は姿を消し、宵越しの銭と同じような扱いを受けています。

「それ、真面目だから」

 と馬鹿にされます。

 今さえよければいいのです。いまは。おもしろければよい。場が盛り上がっていれば何でもよい。

 保育園みたいなカンジです。

 保育園児とのちがいは、誰もほんとうには笑っていないことです。目がわらっていない。

本稿つづく

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#殺しても神は必要
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