【献上 七夕掌篇777文字】おりひめとひこぼし
私は県道29号線の、龍潭の前を歩いていた。宵の頃。
見上げると天の川。
「おりものひめよ」
「いやだ、水臭い。おり、とお呼びになって」
「うむ。では、おりひめよ」
「なあに」
チッ、と舌打ちをした。なぜなら私はひとりぼっちだから。
首里は散歩しているひとが多い。沖縄人は歩かない、普通。車社会。だけど、首里はよく歩いている。歩くのに適している。那覇の人もよく歩くんじゃないか、たぶん。那覇は歩いてて、たのしい。誘惑がおおすぎるけれども。
老夫婦があるいている。ふたりで。チッ、と舌打ちはしない。うらやましい。善男善女なんだろうな、と思ふ。私たち夫婦は、ああはなれないだろうなと思う。
いろんな老夫婦がいる。男のほうが矍鑠(かくしゃく)としていて、女が楚々とついていくカップル。
女が元気で、男はよぼよぼ。手を引かれて、ゆっくり歩いている。
老夫婦となると、喧嘩なぞも、もうほとんどしないだろうな。口に華とかき、けんかは江戸の花ではあるが、喧嘩というは、ひっきょう無駄である。
何十年も生活を共にしてきて、いまさら喧嘩もなにもないだろう。
とも思うが、自分の父母などは、時にはやはり喧嘩するらしい。今でも。
子どものときは、この夫婦はしょっちゅうケンカしていた。客観的に見て、父のほうが悪いことが多かった。母のほうが悪いことももちろんあった。
くだらないことでケンカをする。父が出張の土産に飾り盆を買ってきて、これをどこに飾るかということで、勃発し、やがて近所のひとが止めに入るほどの大げんか、立ち回りとなったこともある。
飾り盆が悪いのではない。ほんとうの原因は、もっと奥深いところにある。ふたりの、それぞれの、別々の原因。いまになれば、私にもそれがわかる。
いいなー、と思う。いまだに夫婦なんだもんこの人たちは。
うらやましい。妬ましいようなきもちにもなる。