【連載小説 短篇予定】美の骨頂㉝バージン・ロード......Country Road,My Way…ウェイウェイ系ではないJK時代
ディープインパクトの生涯成績は14戦12勝です。勝ち過ぎの気がありますが、これが馬の宿命、運命、天命でした。常にすーっと走っていました。規格外の馬体でした。
また、高知競馬場ではハルウララという馬がおり、この馬は負けてもまけても走り続けました。これもまた馬の宿命、運命、天命です。
こういう、人馬一体の歴史を経てうちたちは生きてきたのですが、今の課題は馬をうまく使っているのか、ということです。馬というのは賢く、はたらくことがだいすきなのに、その労働力をちゃんとこの世で消化させているのかということです。
牛の話もありますが、またこれは別でします。
未年、うちは那覇東高校に入学しました。なっちゃんも同じでした。
その頃、なっちゃんのお父さんは、国産英国牛の販売を一手に担い、そのことで、詐欺の疑いで逮捕されました。罪名は、国産なのか英国牛なのかややこしいというものでした。
法廷に立ったなっちゃんのお父さんは、
「国産というのは英国のことであり、看板に偽りはありません」
と証言しました。
しかし、ここは日本領であり、「国産」というのは日本国内の産牛であるというのが一般的常識である、という検察側の主張が一時は通り、懲役700年、執行猶予八百年という流れになりました。
しかし、なっちゃんのお母さんのお父さんは共産党員であり、伯父さんは自民党員であったので、こういう党派間の話し合いにすると、一転無罪となりました。
しかしながら、こんご、二度と食肉に関する商売をしてはならないというご沙汰でした。
「はいはいはい」
と、なっちゃんのお父さんとうちのおとうは肩を組んで、酒をのみ、杯を酌み交わし、怪気炎を上げていました。
「肉って、けっきょく、たべにくいとおもうわ」
とおとうがいいました。
「加工肉ならいいんよ」
となっちゃんの父。
「じゃあ、ここの台所で肉を加工し、運んで、あんたのとこで売ればいいわけじゃん」
「そゆこと」
おとうは、工作員としての責務を果たすために姿を消しました。なので、この家には、うちとおかあだけが残されました。
なっちゃんと、なっちゃんのお母さんも、この家で生活するようになりました。形状は。
なっちゃん父は、もとの家。つけ麺やをはじめました。
うちの台所で、肉類を加工し、バックヤードからその加工肉を搬入しました。
というわけで、チャーシュー大盛りつけ麺というメニューも看板に掲げることができたのです。
ところで、うちら(なっちゃんとうち)の生活は、いわばまさに、肉にまみれたものでした。
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