【連載小説】夏の恋☀️1991 シークレット・オブ・マイ・ライフ㊳
1991年7月19日(金曜日 先勝)←日記に書いていた。というか日記。
🌞⛅☔⛅
日付がかわって、桃子はまだのんでいる。
おれはもうそろそろねむい。かえろうかな、と思う。
「JJ、かえらないでよ。あさまでいて」
と、桃子。
「わかった」
おれは横になった。
「ねないでよ」
「うん」
おさないころ、となりで寝かしつける母ちゃんが先にねるのが、めちゃくちゃにこわかった。
ねむくなると、あかちゃんが泣くのは、ひとりぼっちになるような、そんな気がするからなんだって。まだ、ねむるというのが、わかっていないのだ。死ぬのと、ねるのがおなじ。どこからが自分で、どこまでが自分なのかわかっていないわけ。
桃子は、ねむれないのだろうか。
「ひっこしの準備はできたの?」
「うん。準備というか、あの家はまだ、しばらくそのままだし」
「そうなんだ」
「うん。でも、かえってこないよ、もう」
「そうか。さびしい」
「うん。わたしも」
「じゃあ行かなきゃいいじゃん。東京、なにしにいくの?」
「なにしにって、わたし、もともと東京出身だし」
「え、そうなの?」
「言ったじゃん」
「言ってないよ」
「言ったって。何度も。小学校4年までは東京にいたんよ。それから、α」
「初めて聞いたよ」
「したって。αの話もきいてないわけ?」
「いや、それは聞いたような気がする」
「じゃーしてるよ。東京の話も」
「んー、そうか」
したよ、してない話はこれ以上はしたくなかったので、おれはもう黙った。
というか、ねむい。
「JJ、ねないでって」
「うん……」
「ねえって」
おれは、ねむった。ねむったんだけど、そのあとのことは覚えている。夢なのかもしれない。
異国のお方よ! 不可解ではっきりしない言葉を用いる夢がございます。そして、その夢が人間に伝えることは果たされません。夢にはふたつの扉がございます。ひとつは角で、もうひとつの扉は象牙でつくられています。光沢のある象牙を通ってやってくる夢は私たちを欺き、私たちに意味のない言葉をもたらします。磨きたての角を通ってくる夢は、それを見る人間に真に実現するものを伝えるものでございます。
これは母である桃子が言ったことばなのか、その死んだ子がいったのかは、わからない。そのときのおれは、まだ子どもで、何も分ってはいなかったから。
今なら、ある程度は、分かるけど。
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◇参考・引用
『IN THE NAME OF HIPHOP II』(tha BOSS「曲名がわからない」)
「ふたつの扉」(ホルヘ・ルイス・ボルヘス『夢の本』河出文庫)
本稿つづく
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