【掌編400文字の宇宙】何にもなりたくない
キリスト教と私の考え方が決定的に違うのは、復活を望んでいないということである。天国も地獄もいらない。私はただ消え失せたい。これは別に厭世的でもなく、憂鬱でもないし、反社会的でも自暴自棄でもない。希望。幼稚園の年長組の子どもたちが、ともだち100人できるかなとうたうようにして、全部が消えて、全部を消したいとそうまっすぐに思っている。というかともだちなんて100人もいらない。仲間もいらない。この世では、私のことを比較的知っているという人がひとりいれば十分だし、そのひとりのことを私は知っている。そのひとの、人となりはいまだによくわからないけれど、何十年も一緒に居て、今は離れているけれどまあ生きてはいるので、それで全てよいのである。カフカが死の床で、親友に、出版されたものは仕方ないがその他の、自分が書いたものはすべて焼いてくれと言ったその気持ちは、かなりよく分かる。それな、と心から思う。分かるよ。