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【随筆】賭博考
賭博を好むものは基本的にお金はどうでもいいと考えている。ただ勝負がしたいだけで、何かを賭けて、勝つか負けるかがしたいのである。それが今はたまたまお金というだけで、代わりに何かがあるのならそれでもよい。
お金というのは手段であり、何かを買って手に入れるためにある。目的とか目標というものがある。
いっぽう賭博をこのむ者は何も目的・目標がない。ただ勝負がしたいだけ。勝つか、負けるかの瞬間がここちよい。
心地のよいものはすべて中毒性がある。従って賭博も中毒性がある。
ドストエフスキーとか大谷選手の通訳の人とか。こういう人たちはお金なんてどうでもよく、ただギャンブルにのめり込んでいたのである。おそらく破滅願望がある。その気持ちがよく分かる。
破滅願望というのは単なる感情や気持ち、性格や性質というものではなく、おそらく原子レヴェルの運動から来ている。ものというのは離れようとする。運動である。反対にくっつこうとするものもある。
どちらにしろ、あたらしい形をつくるためには古いものをスクラップにする必要がある。そうして再生するのである。
なので、壊れようとする運動を短いスパンで見るのではなく、その先に続く原理として見ると、こわれるのは毀れるのではなく、次の再生へとつづくのである。
とはいえ、一個人(私)としてはそんなことは知ったことではないし、知ったつもりになるつもりもない。
積もる話がつもりつもってつまり、おもへらく、壊れるものはこわれるままに、ゆっくり見守ろうとおもうかんじるしんじるのである。
予想。
馬連。三連複。夢の三連単。などなど。
わたしたちは数分後の未来を見ながら身ながら生きている。飛ぶように。
実はどうでもいいし、何とでもなるのである。
個人的にどうしても信じているのは質量保存の法則である。いわゆる不増不減。
なのでわたしはもうなにものも恐れないのである。
砂漠の惑星に降り立った宇宙船である。その名は「無敵」である。