【短篇】夏の雲 #シロクマ文芸部
夏の雲が夏の雲らしくなくなってきた。
南海トラフの巨大地震に注意するべきは、沖縄から関東らしい。広すぎるだろうと思うが巨大だから仕方がない。私は地震学者ではないが、地震学者になれるような気もしてくる。
「広い範囲で、地震が来るかもしれないし来ないかもしれません。来るかもしれません。たぶん」
というようなことをアドヴァイスすればいいのだから、私にでも出来るような気がする。
いや、そんなことないか。流石に。私には科学的エヴィデンスというのは示せないし。
というか私は科学的エヴィデンスというのを余り信用していない。そのせいで沢山の人が死んできたし、生まれた故郷に、祖先伝来の地に二度と帰れなくなったという現象を見てきたから。というかエヴィデンスて何?
そもそも一体何をもって雲を雲というのか。雲というのはとどまりたるためしがないし、つねに形を変える。この、形が常に変わるという現象をもって雲なのか。あるいは水蒸気みたいなものがある程度かたちを為して中空に漂っていれば雲なのか。ならば今キッチンからただよってくる、夕餉の味噌汁のにおいをともなう湯気も雲なのか。
冷房機。扇風機。ティーヴィー。換気扇。ガスコンロ。などなど。
私は科学と文明におおくを助けられ、快適に生活をしている。その便利さに感謝をしないことはない。いや勿論感謝をしている。火力発電所に感謝。石油基地に感謝。ガスありがとう。上下水道、最高。沖縄電力、あのな、今月の電気代、2万3279円だったよ。夏休みで子どもが、何度言っても部屋を南極のように冷やして、ゲームをしている。まあ、それもあれだったのだろうがそれにしても高過ぎやしないかな。庶民をころす気か。聞いたところでは全国の電力会社は軒並み過去最高益らしいじゃねえか。おい、コラ、調子乗ってんじゃねえぞ。ガキが。給料幾ら貰ってんだ? 教えろ、おい。こっちは今休職中で、夏ボ(夏のボーナス)ゼロ円だったわ。ふざけんなよカスが。
それはさておき。
人生はつづいていく。来月は妻の誕生日だ。48歳。妻はいつまで生きるのだろう。妻はいまのところ、人工呼吸器用の穴を喉に開ける気はないらしい。ということは。
人工呼吸器用の穴を開けるかどうかは私が決めることではないし、きめろといわれてもどうしていいかわからない。妻がいつまで生きるのか。これは私が決めることでも妻がきめることでもない。おそらく誰にもわからない。
これに関しては科学的エヴィデンスというのをさがしてみたところで何処にも無いだろうし、文明からしてみれば、そんなことはどうでもいいことだろう。
私は科学も文明も信じていない。憎んでいるというのは言い過ぎだが、深い疑いをもっている。
窓をあければ薄曇り。夕暮れ。もう夏の雲はどこにもない。