【連載小説 中篇予定】愛が生まれた日(78)実は子どもがいましたという大どんでん返し
実を云うと、いままで隠していて悪かったけども、おれと雪子のアイダには子どもがその時もういた。えーっと、当時1歳。一歳半、ではない。なかった。
雪子は末っ子である。様子を見ていると、子育てが下手。精神年齢が低く、我が儘で、すぐにブチ切れる。要するに自分も子どもであり、まだ親になり切れていない。
というわけで一歳児は雪子の両親によって世話され(オモニ)、雪子は基本的に家にずっと居れるような性格ではないので外に出て何かの仕事をしていた。なんの仕事だったのかはもう覚えていない。いろいろやっていた。あるいは体を売っていたのかもしれない。肉体や労働や己の時間を。
そのもっと前、もっと若くて東京にいたころ、おれと雪子は家計を折半していた。家賃はおれが、光熱費は雪子、食費は……わすれた。
基本的にこの世は男の方がよりお金を稼げる構造になっている。女は低賃金重労働貧乏。
なのでおれは家賃を払って威張っていたわけである。家事なんてやらない。こういう下働きは女がやることである。洗濯と洗濯干し、洗濯たたみぐらいはしていたけど(おれの父は洗濯干しだけをやっていた)。時には茶碗洗いまでした(おれは)
金の話。
折半制のころ、給料日前になると、男も女(妻も夫)も、どちらも殆どかねを持っていなかった。口座にもない。
これはいかん。ということになり。あるときから雪子が全てを管理するようになった。すると、少しずつお金が溜まりはじめた(らしい)
無職期間(器官)をのぞいて、おれが年収で雪子に劣ったことはただの一度もない。しかし、一年半あまりのロング・ノー・ワーク期によって、雪子が貯めた金はあらかたなくなった。
だから、また働き始めたのである。ミルミルヤレルで。
赤ん坊というのはちいさいが、建蔽率というか、膨張具合がおとなとはぜんっぜんちがう。どんどんおおきなる。
子どもというのは化け物みたいなもので、おれたちの体力、労力、時間、金、気持ちや愛情、やる気元気勇気などを独占し、寡占して知らん顔をしている。法律などけしておよばない玉座にすわって、あらゆる不法、違法行為を繰り返す。親に基本的人権などない。子どもの周辺には血や汗、涙、代々の死体が累々としておる。
さっき帝王切開で取り出されたユキノシタの赤ん坊は血まみれ、体液にまみれて生まれた。目は瞑って。しかし口をいっぱいに開けて、あの、独特な奇声を挙げた。
天上天下唯我独尊
本稿つづく