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【私の好き嫌い 特別編】パブリックエネミー・“明治”その功罪(前)

二十二.明治(前)

 情状酌量の余地はあるが、明治は、おおくの罪を犯している(現在進行形)。現時点で審判を下すのは、現時点という時代の限界はある。しかしながら私たちは現在を生きているので、現在のまにまに結審をせねばなるまい。

 結論を先にいうと、明治は有罪である。以下、主文。

文明と文化について

 文明は東に発している。東から西に伝わった。文明と文化、あるいは文化と文明。どちらが先かというのは鶏が先が卵が先かという話と同じで、考えてもよくわからない。両者は両輪なのかもしれないしそうじゃないかもしれない。

 簡単に定義をする。

文明=科学と経済の母体である。人が関与するが、人と関係のない境地で自動的に進化してゆく。人為であるが人為ではない。

文化=礼儀、道徳、倫理、芸術の母体。これは人が関与することができる。人為である。

定義

 ちなみに哲学というのは文明と文化を両者の観点から語ろうとしている。宗教というのはよくわからないが、両者の観点から語ろうとしているのか、どうか、筆者はよくわからない。また、哲学は生まれてから何千年も経っているらしいが、まだうまくいっていない。語り得ていない。筆者には「何を言ってるかわからない」

文化の興隆と衰退そして西洋文明の拡大

 文明が先に進化すると文化が興隆するのか。筆者にはよくわからないのだが、十九世紀の東洋においてどうも「文明ってもうよくね。ダルいし。いったん立ち止まろうぜ」という雰囲気があったようである。

 実例を挙げると江戸期の日本。清朝の中国。これらの国は意図的に文明を停滞させた。時代は火薬。西洋では大量殺人が始まっていたが、一方「武士道は死ぬことと見つけたり」とか、「字典つくろうぜ。めっちゃすごいやつ」とか、文明的にいうとアナクロニズム(時代錯誤)的な暢気な気分が東洋にはあった。その結果か、文化が興隆した。爛熟したのである。町民(一般人)は劇とか落語などを観て、また美人画などを見て鼻の下をのばしていた。

 みるみる惰弱していく東洋にひきかえ、西洋は科学と経済を先頭に文明をどんどん進化させた。文明は、もっと便利に、もっと快適に、もっと豊かにを内的燃料として自動的に非文明(おくれてる)地域に波及する。進軍する。その際に生み出された思想が「平等」というスローガンである。

 もっと便利に、もっと快適に、もっと豊かに、と遠征者たちは非文明地域を次々と平らげていく。銃と剣。馬と馬車。大砲。非文明国は殺され、奪われ、犯される。たたかいが終わると「平等」の教育が行われる。

 こんな風にして西洋の文明は破竹の勢いで世界を覆い、文化は没落してゆく。

 勿論、その動きは東洋にも影響をしはじめる。最初はジョジョにであったが、西洋文明はその力を蓄えるとインドに会社をつくり、つぎは中国だ、ということになる。

 清国は相当に大きな国であったが、まず薬漬けにされた。科学的戦略兵器、阿片によってである。そしてクスリでふらふらになったところを悠々と西洋文明は侵入していった。

 徳川幕府は、というか日本はこれを海を隔てて見て、「これ、だめですわ。中国さんが、いまはなんてなまえでしたっけ、清(しん)か。清さんがだめということは、これ、亜細亜全体あきませんわ」

 とゆうことになり、なりというか逸早く気づき、最近流行の西洋文明というものを学ぶことにした。「幕府というのも、だめ。時代おくれ。古い。だめだめ。変えよう」ということになり、明治維新という革命が起きた。

 下関で大砲をぶっぱなしたり、生麦で西洋人をぶっ殺したり、その前かな、井伊直弼(いいなおすけ)を殺したりして、いろいろがんばって、なんとか明治という時代にした。清朝の二の舞は避けられたのである。

「藩というのもやめましょう。地方自治体とか、そんなこといってたら西洋に太刀打ちできないし。ややこしいし。まとめましょう」

 そんなこんなで藩体制はやめて、都道府県にした。身分制度もやめた。数百年続いた武士が負債みたいになっていたのである。だから「平等」ということにした。

「といってもまあ、リーダーは決めときましょうか」という話にはならない。日本という国はそこは便利で、リーダーはずっとリーダーで居たのである。京都に。ずっと。

 天皇家である。

 江戸に来てください。いや、なまえ変えました。トーキョーです。どうぞどうぞ。

 こんな感じで日本は、再出発した。もちろん国内でいざこざはたえないし、たくさん人も死んだが、ちゃんと文明国となったのである。

 文明国になったので、西洋文明もカンタンには手出しができなくなった。というか島国だし、別によくね。わざわざぶっ殺す、コスパもあれだし。みたいな。

 ここらへんは、明治の人たちはよくがんばったと、認めていいと思う。

 島国ならではの地政学的な、あれなどもあったと思うが、何より他国の文明・文化のよいところを瞬間的に見極め、これを取り入れるという日本人の長所がいかんなく発揮された事例である。

 天晴(あっぱれ)。

 明治は明治でよくやったと考える。

 文明的には。

 しかし、文化的には、だいぶ、何百年も(何千年も)後退したのも事実である。

本稿つづく

 

 

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