
【推理とネタバレ】『こころ』のKは何故自殺したのか
本稿は夏目漱石『こころ』のネタバレを含みます。
Kというのは『こころ』の登場人物で、実家は寺で頭が良いので医者の家にもらわれたが「道」をこころざし勘当されてバイトで苦学している人。
私はKの親友で、両親を早くになくし、おじさんに騙されそうになって人間不信になるが金は持ってる。下宿先は夫を戦争で亡くした未亡人とその長女が暮らす家。部屋は六畳と四畳、だったかな。
奥さんは口うるさく、熟してエロい(という描写はない)。お嬢さんはたぶん可愛いのだろう。何も知らんガキである。
Kを自分の、隣の部屋(四畳)に住まわせた私は、奥さんと交合し(してない)、なんとなく生きている。Kは死にかけていたが、部屋を与えられてホッとして元気になったかと思うと、どうもお嬢さんが好きになったらしい。
ちなみにKは、道のためなら養父母を裏切っても何とも思わないし(自分がヤりたいことだから)恋なぞも馬鹿馬鹿しいと思っている(いた)。なのにどうも恋に堕ちたので戸惑っているのである。
そして、それ見て、なんとなく私もお嬢さんが好きなような気になり、なんか嫉妬して、熟女のカラダを篭絡し(そういう描写はない)、お嬢さんと結婚することになる。
それを知ったKは切腹して死ぬ。
そのことをずっと後悔していた私は、後年、やっぱり自殺する。
という話である。
キーワードは「自分」である。この小説が書かれるまえ、日本人は自分というものについて考える必要はそれほどなかった。蛙の子は蛙、鳶が鷹をうむこともあるが結局南極同じ鳥類、という具合に。
しかし、大政奉還後、かたちじょうであれ、何になってもよい、ということになった。貧乏な侍はどんどん身を持ち崩し、算盤のはじける者たちがのしあがった。「平等」になったのである。
そこでひとびとは、「おれ・わたしってなに?」とゆうことを考えなければならなくなった。これは現代に至るまで同じである。
結論を先にいうと、Kと私が死んだのは「自分」を裏切ったからである。恋でもない、病気でも貧乏でも金でもない。
現在に至るまで自殺の原因は病気、恋、金だそうだが、これは当たっていない。精確にいうと、病気、恋、金をきっかけに「自分」を見失ったから人は死ぬ。逆にいうと、何が起ころうと「自分」を失わない人は死なない。
Kは、道のためなら全てを犠牲にすると決めた自分を裏切った。
私は、おじさんに騙されてショックだったのでもうだれもだましはしないと自分で決めたのに、Kも、お嬢さんも、奥さんもだました。
というわけで、二人は死んだのである。
色々としちめんどくさいことが書いてあるが、要はそうゆうことである。
読者として、かわいそうなのは、お嬢さんと奥さんである。何にも知らされずに蚊帳の外。ロクに描写もされない。
女はこういう風にほったらかされてばかりいたので、最近では女の話が必然的に多くなる。
だいたい、話というのは女のほうが長く、うまいし、うるさい。女にとって「自分」というのはなんなのか、不明である。だから中々死なないし、いつまでも生きてぐちゃぐちゃ喋ってばかりいる。
あのなあ、喋ってないで、書けよ。
と筆者は思うのである。