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【金の感覚】お金についての話をいろいろ書いていますが、中間のまとめをします

 お金についてはいろいろ書いたり、また話が派生したりして、よくわからなくなっているのですが、中間のまとめをしておきます。

 その他にもいろいろ書いていますが、テーマは一貫しています。兎に角、私にはお金というものは、カンケーがないのです。現金で持っていれば全て遣うし(後先は一切考えない)、無ければないで「お金持ってません」と人に言います。そうすると、家族や妻、知人・友人が何とかしてくれます。見も知らぬ、さっき知り合った人が金を出してくれることも何度もありました。

 無いならないでどうしようもないじゃないですか。無いのもはないので、「ありません」とただそう言えばいいだけなんです。

 というかそもそもお金というのは手段であり、物とかモノとか人との関係性を得る補助ラインに過ぎません。つーか、お金に罪は無いんです。ただの数字ナン(ナンバー)なんだから。悪いのは、勘違いしている人間です

 だから私は、お金がきらいといいましたが、もっとちゃんと精確にいうと、

嫌いなのは勘違いしている人間なのであります。

 許せない!と思うぐらい、きらいです。だって、そのせいでまず、自分を見失っています。自分を見失っているにんげんは、他人も見失っています。
メガ(メガバンク)目が見えてないんだから。

 すると、他人が苦しんでいても、知らん。餓死しても、知らん。暗殺されても、知らん。自殺しても、知らん。子どもたちが死んでも、知らん。シーラカンス。となるわけです。

 こんな人生。何しに生まれて来たの?

 お金は大切。お金がナイトどうしようもない。はいはいはい。その意見は尊重しましょう。

 しかし、どうにもしようがないの、どうにかなれば、それでいいじゃないですか。その日暮らせれば、その日はそれでいいじゃないですか。明日になれば明日の風が吹くし、運も変わるし、なんかチャンス的なものもありましょう。知識と智慧と技術、体、まっすぐな心でどうにかすればいいんです。なんとでもなります。

 細かいことを、気にしすぎなんです。つーか戦後里山に杉植えすぎ。儲かるとでも思ったんでしょうか。そのせいで、後世の現代日本人はスギ花粉症におおいに苦しんでいます。北海道と沖縄をのぞいた、国の、風土病です。これを治療したり、軽減したりするために、一体どれだけの金が無駄になったのか。馬鹿なんじゃないでしょうか。上杉謙信。武田信玄。

 イライライライライラ。

 金なんてカンケーない。私にはどうでもいい。

 ということなのです。いい加減に気づいてください。

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