メンヘラ、山で修行する
教授いわく「メンヘラは山で修行をすれば治る」らしい。暴論である。それでも私は、その暴論を盲信するしかなかった。大学生、モラトリアム、手にくっついたままのスマホ。
私は青春も裸足で逃げ出す特大級メンヘラだったからである。
人生が破滅するくらい好きな女友達がいた。この場における「好き」というのは、キスがしたいほうの好きである。全ての事柄において、一番になりたいほうの好き。
片想いをはじめてから三年が経っていた。「好き」が風化してぼろぼろになって、あとかたもなく消え去ってしまえばよかったけれど。好きな子の手によって転がされて、ただただ大きくなるだけだった。
実際、破滅してもよかった。目に見える破滅をすれば、好きな子のせいにできるし。その事実があればずっと責めていられると思っていたから。
望み通り私は破滅への道を闊歩していた。ありとあらゆるSNSに張り付き、相手の生活リズムに遊ぶ予定に興味関心好きな物、全てを知り尽くそうとした。
一日の活動時間はほとんどTwitter(まだXって言えない)とdiscordに費やし、相手が暇な日を割り出しては絶えずやり取りを続けていた。
当然、相手の全てを知ろうとすれば嫌なものも含めて把握してしまう。こうして好きな子が他の友達と遊んでいるのを知るや否や泣き喚き、食べ物は喉を通らず体重は激減。「お前の時間は全て私に使うべきだろ」と怒り狂った。私が居るのに他の人と会うなんて無礼だぞ。私は別の友達とも遊ぶけどお前は私以外と遊ぶなよ。
泣きながらバイトに行き、店長に「好きな子が私を見てくれない」と喚き散らすこともあった。体調を壊し続け、病院に連れられたこともある。
この世の終わりと言わんばかりの勢いで泣く私に気を使ってくれた店長が、バイト終わり、夜の公園で一緒にブランコに乗ってくれた。力任せに蹴って漕いでも前に進まないブランコの動作が、何かと重なった。
そう、好きな子の新着ツイートを待ち望んで毎秒スワイプを続ける私の動作と、ブランコを漕ぐ動きが奇しくも似ている。
景色は何ら変わってくれない。どれだけ力を込めても進まない。永遠と同じ場所に居る。
そんな日常に揺られていると「このままではまずい」という警告音が鳴りだす。スマホをスワイプする度に、指先が言ってくる。「このままスワイプし続けてお前はどうなるの?」と。
好きな子は、私の事など一切気に留めず好きなものを探す。その指先でちゃんと、たくさんの物に触れていく。触れた中で自分にとっての「大切なもの」を知って、選び取っていく。
対する私はその子のSNSばかり監視し、やり取りを続け、相手の予定がある日には泣いてばかりいた。
私の両手にはなにも残っていない。唯一頭に詰め込まれているのは、好きな子のツイート内容だけだ。
このままでは、走馬灯が好きな子のSNS一色になる。そんなの気が狂う。死ぬ時くらい良いもの見させてくれよ。
そして無性に腹が立った。こいつのせいで私の大学生活はまるまるこいつになっているというのに。なに楽しそうにしてんだ。
私だけが捧げてしまった。相手のいない場所に勝手に「私」を捧げた。捧げた物は供物と一緒で二度と帰っては来ない。腐っていつか捨てられる。
捧げたままの「私」が放置され腐っていく過程を、手を出さず傍観するのは恐ろしかった。
なにより、好きな子を責め続ける人生は悪くないが、振り回されるのはめちゃくちゃ癪だった。
ある友人から「その子の話しかしないね」と言われる程度には、私の生活も出てくる言葉も好きな子に占領されていた。
どうにも、時候の挨拶さながら好きな子の様子を語っていたらしい。まったく気付いていなかった。その一言が容赦なさ過ぎて、日頃の自分を見つめざるを得なくなった。
誇張ではなく、文字通り「何もできていなかった」。自分に対して時間を使えていない。その恐ろしい事実に気付いてしまった。
これは早急にどうにかしなければならない。そうした中で、教授が言っていた「メンヘラは山で修行をすれば治る」説が満を持して登場する。明らかに暴論だが、縋る藁はそれしかなかった。
そして、同じゼミ生である友人A(以下A)が「教授と仲良くなって、修行しに山に連れてってもらうんだけど一緒にどう?」と誘ってくれた。
渡りに船とはまさにこのことである。「修行!?」と正気になりかけたが、船の行き先も知らずに私は乗った。せめて船酔いしなきゃいいなと思ったが、好きな子のおかげで毎日酩酊しているからあまり影響はなかった。
というわけで修行である。メンヘラ、メンヘラを治すために山で修行をする。期間は一日。集合場所から教授の家に寄り山へ直行。道なき道を歩き山頂を目指す。当日は法螺貝を貸出。法螺貝!?
とにもかくにも、相当な距離を歩くことは事前に知らされていた。舐めてかかれば確実に仕留められる。大自然に。
どうにかして、朝5時入眠13時起床、四六時中インターネット、という生活に浸りきってふやけていた身体を鍛える必要があった。
それからというもの私はウォーキングをはじめ、体力作りに奔走した。山でも戦える強い足腰が欲しかった。健康的なメンヘラの誕生である。健康的なメンヘラってなに?
運動を始め鍛えたことで健康的なメンヘラになった私は、教授へのメール、修行に関する勉強、修行場所付近のホテルの確認、など以前よりも積極的に動けるようになった。
しかし、Aとホテルはどこを予約するかと話し合った後日、突如「彼氏の実家に泊るね!」との連絡がきて心はおろか鍛えたはずの足腰諸共砕け散った。二人三脚のつもりだったが、実際は一人マラソンだった。コーナーにさしかかる前に差を見せつけないでほしい。
結局前日に一人でホテルに泊まり、単独でコース料理を味わうことになった。周りからの「こいつ一人ってマジ?」という視線がよく刺さったが、必死に貪った。ありえないくらい美味しかったです。
そして、修行当日。
私とAを含む学生数名が集合場所から教授の家に連れられた。
家に着くなり教授は「自分に馴染む法螺貝を選んでね」と大量の法螺貝を床にちりばめた。
こんなポケモンみたいに法螺貝を選べることあるんだ......という感想を抱きながらおびただしい量の法螺貝を眺めた。法螺貝の目利きなんてしたことがなかったが、とりあえずしっくりきそうなものを選んだ。
ちなみに法螺貝とは、戦の時とかに吹かれてそうな貝である。
そして法螺貝は、数キロ先まで音が届き、昔は味方同士での合図、助けを求める手段として使われていたらしい。その説明が納得できるくらい、立派な物だった。持つと手にずっしりとくる。
とりあえずしっくりくる法螺貝を「てもち」に入れたところで、ようやく修行開始である。
ディズニーで使うバケットさながらに法螺貝を首からぶらさげながらも、いざ入山。
他数名の参加者と共に山の中へと消える教授の背中を必死で追う。
足元が悪く、怪我をする想像は容易にできた。毎秒好きな相手のことを考えている私だが、流石にこの時ばかりはその子を忘れた。
意識が逸れれば完全に死ぬ。大怪我は免れない。生命の危機に瀕した場合、恋愛って案外忘れることができる。新しい知見だ。
本当に、好きな子を忘れられるほどに危険な道程だった。私の前を歩くAはびくびくとした調子で、恐る恐る、地面に足をつけていた。
しかし!私は入念に足腰を鍛えてきた。そして努力を惜しまずに培ってきたという紛れもない事実があり、それが確固たる自信へと繋がっていた。
「こわい」と言っていたAを守るように、前へ出た。そのまま振り返り、ここぞとばかりに鼻を膨らませ、「手貸すよ!」と手を差し伸べた。
と、同時に滑った。私が。
滑り台!?と言いたくなる勢いで滑った。もう笑いが出る勢いで下へと流れつき、気付けば土と葉っぱまみれになってしまった。
そして、私の右足がぐにゃりと曲がった。山で絶対にだしてはならない擬音の「ぐにゃり」である。
今まで捻挫骨折などの怪我をしてこなかった私は、とんでもない曲がり方をしている右足に絶句した。
そして身体を全力で走る激痛!!!全部放り投げてエンドロールを流したい気分だった
が、この出来事が起きたのは、登山が始まって15分も経っていない頃だった。
格好つけた手前での大コケに、どうにか取り繕おうと「全然平気だよ!いつでも手貸すよ!」と一番下で手を差し出した。Aはまだ上に居るので虚空にかっこつけただけである。今からでも入れる保険ってありますか?
歩くたびに激痛。絶対に動かしてはいけない足に成り下がっている、と直感した。進研ゼミでも取り扱わない当たり前の問題だった。それでも関係なく全員進んでいく。差は見せつけていいから置いていかないで。
山道から広場のような開けた場所まで辿り着いたところで、全員で法螺貝の練習をすることになった。教授は吹き方を教えながら、「法螺貝の音で、その人の精神性がわかる」と熱弁していた。だったら今この瞬間不健康な特大メンヘラに成り下がった私の吹く法螺貝の音。
冷や汗がとまらない中「大自然を堪能しながら法螺貝と向き合ってます」という真剣な面をしながら死ぬ気で吹いた。
音が出なかった。
不健康なメンヘラは法螺貝の音すら出してはいけないわけである。
そうして法螺貝の吹き方をレクチャーしてもらった後、修行は再開した。私達はどんどん、山の奥へと進んでいく。
歩く場所は最早、道と呼べる代物ではなかった。草木をかき分けて進んでいる。崖のような場所にも遭遇した。上に行く学生の背中を見て「多分登れるんだろうな」と判断できる。
というより「できる」と自分を奮い立たせるしかなかった。そして奥深くへ進もうが相変わらず右足が痛い。
まだ始まったばかりだというのに、完全に右足が終わっている。正面を向かないといけないのに、すぐに下を向いてしまう。すると視界に法螺貝がちらつく。
たくさん吹くんだよと貸してもらった法螺貝は、教授のレクチャーの末、かすれ声は出るようになった。
Twitterの鍵アカウントでしか好きな子への意見を言えない私の精神性をよく表している。
そんな私の法螺貝は、どことなく悲壮感が漂っていた。不健康って法螺貝にもうつるんだ。涙出てきた。
道理がわからないが、なぜか動いている足にいちいち伺いを立てながら、どうにか中盤まで来たくらいだった。
私の前を歩いていた子の足取りが、おかしくなった。ふらふらとしていて、軽い。地面を踏みしめていない、というか。今にも倒れてしまいそうだった。
これ、まずいんじゃないか。
ついにその子は棒立ちになり、声をかけても無反応。体調がおかしいのは一目瞭然だった。
真っ先に伝えるべき教授は先頭に居た。法螺貝を片手に太陽の光を一身に浴びている。あまりの神々しさに目が焼かれそうになるが、そんな場合ではない。
対する私は後ろから二番目。距離があるがどうにかして伝えないと、と喉が震えた。今世紀最大の声を出そうと息を吸う。
「先生~~~~~!!!体調不良の子が
「ブォオォオオオオオオオオオオオオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!」
「助けて」の声は、完全に教授の法螺貝にかき消された。
教授の法螺貝の音はすごい。山そのものを突き抜ける音は、この世のものとは思えないくらい綺麗だった。周囲一帯を通り越して、山全てに響き渡っている錯覚にすら陥った。
音に聞き惚れながら、教授が「法螺貝の音はよく響くから、助けだって呼べるんだよ」と教えてくれたのを思い出した。納得である。それはもう、メンヘラが出すかすれ声のSOSなど無意味。
そうして私の叫びは無意味に終わったが、他の学生の手助けもありどうにか教授に伝わった。
結局、10分の瞑想で身体と精神と落ち着かせた後、体調不良の子はここで待つことになった。
ただ、倒れかけていた子を一人にするのは……という流れが訪れた。誰か一人は残っててほしいけどどうかな?という教授の目。激痛の足を持つ私。差し出された真っ当な理由!
「私もここに残ります」
キマった。教授も「心強いです」と言ってくれた。結果、私の修行は道半ば(本当の意味)で終わった。
その後、教授の法螺貝の音を聞いた登山客の方から神聖視され気を大きくしたり、Aに「そんなに足痛いのかなって心配したよ」とあの「残ります」宣言の本質を一発で見抜かれていたことを知ったりした。
あまりに恥ずかしく「ぜ〜〜〜んぜん平気だけどね!!!」と腫れあがった足でわざとらしく歩き回って帰った。全治2週間でした。
こういう体験をして、真っ先に「話したいな」と思って浮かんだ顔が最悪で、もう笑ってしまった。
修 行 か ら 二 年 と ち ょ っ と 後
まだ好きだった。あの修行から二年も過ぎたのに、まだまだ現役で好きなままだった。片想いを始めてから経った月日、五年である。五年!?!?!?
すべて知っている友人に「その子の赤ちゃんとか抱ける?」と質問され即座に回答が出せなかったのが今年の主な出来事である。
恋をしたまま過ぎた五年を、今私はエッセイという形に押し込んで、ぼんやりと眺めている。
結局私の両手は空いたまま、なにひとつ残っていない。その両手を有効活用して赤ちゃんを抱ければいいけれど、まだ出来そうにない。
恋をすると世界が鮮やかになるとよく聞くが、本当にその通りだと思う。
その子に恋をして、私の世界は変わった。鮮やかになって細部がよく見えるようになった。そのアクセサリーはどこで買った?そのイヤリングはプレゼント?手の甲の傷はどこで作った?
いつだって好きな子の原因を知りたくなる。話し方、出る言葉、予定、行きたい場所、すべてが気になって気になって堪らない。
でも聞いて後悔する。踏み込んだぶんだけ私に傷が付けられていく。大切な人のことを話す笑顔を見て、どうしようもなく泣きたくなる。
こうして毎日怒りながら、メンヘラを継続している。継続は力なりとかいうが、力にはなるが身になってないなと実感している。
身になっていない五年が経った。世界もその子も変わらず綺麗でちょっとやだ。
このエッセイの結論として、「修行をすればメンヘラが治るということはなく、生命の危機に瀕したとき、『生きるか死ぬか』の二択を提示されるから、その時だけ忘れることができる」というのが正しいと思えた。ただこれは私の主観のため、一概には言えない。
そして、山で怪我をした場合、絶対に無理をしないように!!!私みたいな痩せ我慢のクソダサカッコつけ野郎にはならないように!!!!!
いつも通り、先週も好きな子に会った。会話の中で「めんどくせ~女」と笑われた。うるさいな、お前のせいだろ。