教授いわく「メンヘラは山で修行をすれば治る」らしい。暴論である。それでも私は、その暴論を盲信するしかなかった。大学生、モラトリアム、手にくっついたままのスマホ。 私は青春も裸足で逃げ出す特大級メンヘラだったからである。 人生が破滅するくらい好きな女友達がいた。この場における「好き」というのは、キスがしたいほうの好きである。全ての事柄において、一番になりたいほうの好き。 片想いをはじめてから三年が経っていた。「好き」が風化してぼろぼろになって、あとかたもなく消え去
ありのままでいいと言われる度、私達は生きがいを見出そうとする。対立を排除されてきた私達は、常に自分の存在を肯定してくれる"何か"を探し続けているのだ。 この小説では、堀北雄介と南水智也の二人を中心に様々な"痛み"を抱えた人々が交わっていく。 生きがいとは何か、自動的に運ばれていく日常の中で、何かを見つけようとする看護師。手段と目的が逆転していると告げられた大学生。カメラを降ろしたTVディレクター。彼らの抱えるぼやけた痛みが、堀北雄介の存在により、輪郭を浮かび上がら