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定年女子の履歴書

プロフィール代わりに、社会人になってからこれまでのことをざっと書いてみた。


女子の8割が聖子ちゃんカットだった新入社員時代

新卒で保険会社に入社したのは198×年。

当時の新入社員名簿を見ると女子は8割が聖子ちゃんカットなのが笑える。男女雇用機会均等法より前の時代で、短大卒・高卒の女子はみんな一般職、勤続年数は短くワーキングマザーはごく少数だった。

結婚、出産、パートで再就職

199×年に結婚し、翌年退職した。当時は残業が多く、仕事と家事の両立までは何とかなるものの、加えて育児までは無理と思い、資格を取って転職しようと考えたからだ。
 
消費生活アドバイザーの資格を取り、家電メーカーにパートとして採用された。試作品を使用してアドバイザーとしての意見を述べたり、本社に出張したり、パートながらいろいろな仕事をさせてもらった。

しかし、子どもが幼稚園に入る年になり、勤務日数を増やしたいと思った矢先、所属していた部署が閉鎖されることになった。

パートから嘱託へ

ちょうどそのころ、保険会社の先輩から郵便局で仕事をしないかと連絡が入った。そして当時自動車の任意保険に加入していなかった郵便局に、保険関係の手続きをする嘱託として採用されることになった。

週5日、9時から16時までの勤務で、幼稚園の延長保育を使えば育児との両立が可能だった。仕事は保険会社の頃と比べるとかなり楽で、余暇には仲間と一緒に小さな子どもを持つお母さん向けの冊子を作ったり、知り合いの編集プロダクションにワーキングマザー向けの本の企画を持ち込んだりしていた。

郵便局では5年働いたが、次第に郵政民営化が議論されるようになり、民営化されたら真っ先にリストラされると思い、転職を考えた。

嘱託から編集プロダクションの社員へ

編集プロダクションの社長からうちに来ないかと言われたときは本当にうれしかった。短大には出版社からの求人はこないので別の業種に就職したのだが、もともと編集者にあこがれていたからだ。
 
共同経営者の社長2人と社員2人の小さな会社で、もといた社員が2人とも辞めて、そのあとに未経験の3人が入ることに疑問を感じなかったわけではない。

しかし、ライターと編集者の仕事を両方学べる機会はこれを逃したらもうない。いつもなら石橋を叩いても渡らない性格なのに、このときばかりは「やらずに後悔するよりは」と転職に踏み切った。

もう一度元の会社で働く

後悔はしなかったが1年しか持たなかった。終電まで残っても、休日出勤しても、自宅に持ち帰っても仕事が終わらない。しかし締切日までに必ず仕事を終えなくてはいけない。

このまま続けたら、身体か精神か家族か、何かが壊れるだろうと思っていたところに、思いがけず昔の会社の同期から連絡があった。「即戦力が欲しい、戻って来ないか」と。

転職を考えるといつも知り合いのツテで仕事の話が舞い込んできた。私の仕事人生は本当にラッキーだった思う。
 
最近、会社の端末で社内電話帳を見ると、時短勤務中、育児休業中、産休中の文字がどこの部署でも当たり前のように見られる。結婚や出産を経ても仕事を続けるのがやっと当たり前になってきたようだ。

回り道も無駄ではない

生涯年収を考えると、どうせ元の会社に戻るくらいならずっと勤め上げたほうがよかったに違いない。しかし、一旦辞めて別の立場、別の業種で働いたことは決して無駄ではなかったと思う。

もしまわり道しなければ出会えなかった人や出会えなかったことがたくさんあるから。

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