祝辞を拝読して
今日も母の話を聞くためにお茶をした・・つもりだったが、最近考えていたことに絡めて随分と自分の話をしてしまったので反省しつつ残しておこうと思う。
私は高校受験に失敗したことがある。記念受験(ICU)、第一希望の都立トップ校、よっぽどのことがなければ落ちない併願確約という契約を交わした上で受ける私立女子校、さらに保険で偏差値62くらいの近所の私立女子校、というラインナップのなか、上から二つに落ちた。人生初の挫折であり相当なダメージを負った。しかし、記念受験に加えて保険受験って何。私立を3校も受けさせてもらうなんて、富豪かよ。さらに都立は、落ちても自動的に同じグループのどこかの高校には受かるシステムで、それ自体が保険なのに。
当時の母は今の私と同い年だ。自分が母の立場だったら絶対そんな受け方させない。頭が下がると同時に、学校産業にいいようにされてないか?渦中にいると正常な判断ができなくなるものなのか?とも思う。
当時の都立高校は内申点半分、当日の点数半分で合否判定されたので「ある程度受かるだろうこの生徒は」と目星をつけられ三者面談で意思確認し、受ける学校が割り振られる。都立トップ校の受験は「いかにミスを少なく、満点に近づけるか」が勝負。時間内に2、3回答え合わせをする余裕もあり、自己採点でも回答が怪しいものは片手で数えられる程度だった。
張り出された合格発表の不合格のところに、私の番号はあった。女子の不合格者は7名。男子は10数名。しかし、男子の合格者コーナーは女子の倍ほどのスペースが。つまり男子の定員が多かったんですね。合格基準点が違うのかな?昨今話題になっている例のやつ。
帰り道の井の頭線、もうどうやって帰ったかわからないくらい、やりきれなかった。
入った女子校はこれから進学校になりまっせ〜という勢いがあり、毎朝小テストがあった。これに落ちると追試、次のテスト勉強の時間が取れなくなる・・という悪循環にハマる。そうならないよう、とにかく最小の努力で合格点さえとればいいというテクニックを学んだ。秀才ではない私は、取れるところで効率よく点数を取らないと落ちこぼれるという危機感の中、3年間を過ごした。勉強はタイトだったし校風は好ましいものではなかったけど、気の合う友人が見つかり若さゆえの無敵感でそれなりに満喫し、伸び伸びと充実していた。高校の授業の予習復習、宿題をこなして寝て起きて通学して私の24時間は終了。周りの同級生のように、授業のあと河合塾だ代ゼミだと塾に通う余裕などどこにもなかった。
そんな日々のおかげか、高校の授業料と進研ゼミの小論文講座のみというコスパのよさで第一志望群の大学に合格。学校報には受験体験記も書かせてもらったりした。今となっては東大理Ⅲにでも入らないと書かせてもらえないだろう。
大学に入ってからも落ちこぼれちゃいかんという思いがどこかにあり、指定校推薦枠(学校一の内申点を誇る私の友人グループは半数が指定校で全国トップクラスのガリ勉しぐさを勉強させてもらいました)の面々に引けを取らないよう、ワセコジの楽勝科目号から厳選した履修ラインナップで良い成績を取り、就職面接のシーンをバックキャストして個性的なストーリーを語れそうなゼミを選び卒論を書いた。氷河期にもかかわらず就職活動は内定も4社ほどいただき、大学生活を通して一番悩んだのはそこからどの会社を選ぶかだった。
たいそう長くなってしまったが、タイトルに置いた是枝監督による母校での入学式祝辞について考えたことはこの前段なしには語れないので
続きは次のポストで・・