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地下アイドルになるまで。

地下アイドル時代の話でもしようかと思ったのですが正直語れるほど大きなステージに立ったこともないですし、めちゃくちゃ人気があったわけでもありません。
ライブハウスに集合し、楽屋で淡々と準備、淡々とライブをこなして淡々と特典会を行い、楽屋で着替えて現地解散。この繰り返しでした。もちろんその中で色々あったのですが追々記事にしていくということで。
今回は地下アイドルに至るまでの歴史を振り返っていきたい。



・アイドルに憧れた幼少期

基本暗い大人しい子どもでした。たまーに人前で歌ったりするのは好きでした。当時はミニモニやきらりんレボリューションが流行っていました。ハロプロ黄金期ですね。ただ今思うと普段黙々と泥団子作ってる暗いやつが急に人前で歌い出すとかめちゃめちゃキモいですね。

・こんな田舎に芸能スクールがあるの?

某大手事務所運営のスクールが我が県に存在していることを知る。それはもう入るしかないと。小学3年生でオーディションを受けました。結果は合格。入所金30万を出してほしいと父に頼むと「これはよくあるビジネスや。子供の夢を搾取してるだけ。」と反対されあっけなく夢が散る。辛辣ですね。

・中学入学後すぐ不登校になる

不登校時代の話についてはまた別の記事で書きます。
この頃は人生で一番病んでいてテレビを見ることもできないレベルの鬱でしたね。アイドルとは無縁というか人間と無縁な三年間。過去の記事で書いていますのでよかったらぜひ。


・神経系の副反応が現れ入退院繰り返す

向精神薬の筋肉注射を用いて治療をしていたのですが
10代にはなかなか現れないレアな副反応が出てしまい(医者に5万分の1とか言われた記憶🤔まじ?)
さらに当時新薬だったことから「治療法がないのでとりあえず入院して薬を色々試します」とモルモット宣言を受ける。
これがまあ地獄で。閉鎖病棟入院についても別の記事で書きますね。
入院が受験期と丸かぶりしまして結果的に進学を諦めました。不登校時代全く勉強をしておらず、高校進学についてもなにも考えていなかった。てか、閉鎖病棟から出られる日が来るなんて思っていなかった。下手したらここで一生暮らすのかと思っていたし、退院後自〇しようと思っていた。なので自分の人生続くなんて思ってもいなかった。だが受験生。不登校だろうが病んでようがおかまいなく大人たちに進路を差し迫られる。通信だったらいつでも入れるから治療に専念しようということになった。

・コンビニバイトを始めるも半年で店が潰れる。

身体も動くようになり、精神状態も安定しはじめ、初めてのアルバイトを始める。気づけば17歳になっていた。引きこもりで3年以上まともに人とコミュニケーションを取っていない人間は指示通りに業務をこなすことで必死だった。はじめてのバイトでミスも多いし接客も声が小さくてボロボロだったが、半年過ぎた頃に店長に話があると退勤後裏に呼ばれて
「この店1ヶ月後に閉店します。あなたは閉店に伴い退職です」
一ヶ月後に無職宣言。まじか、どうしよう次の職…というか人生どうしよう。このままど田舎で実家暮らしのぬくぬく人生歩んでていいのか…。
せっかく可愛く生まれたのに彼氏もいないし中卒だし無職だしえ、、詰んでね?やっば!とりあえず実家出よう!と猛スピードで上京を決意する。

・声優になるを口実に実家を出る

芸能界入るにはどうしたらいいのか、養成所に入るのが1番早いと思ったんですよね。すぐさまネットで検索。1番上に出てきた養成所のオーディションを受けるために東京へ行きたいと親に言った。すぐに飛行機を取って父には内緒で東京にいる兄の家に遊びに行くとだけ言い、東京へ向かった。無事合格し、兄の家に居候して、アルバイトしながら声優を目指すと言った。反対されるかと思っていたが、意外と背中を押してくれた。そうしてわたしは上京した。

・コロナ禍で養成所が3ヶ月遅れでスタート。

元々半年のカリキュラムだったのが、コロナの影響でスタートが3ヶ月遅れ、3ヶ月後に昇格試験があり、それに落ちるとはいさよなら〜というあっけない養成所生活でした。声優志望はめちゃくちゃ多いけど椅子がないという話。私には才能がありませんでしたね。ど、どうしよう、、、、その後は3ヶ月ほどひたすらバイトだけをやるフリーター生活。


と、本日はここまでです。
なんか、私の人生ジェットコースターですね。
乗ったらすげぇ気持ち悪くなって吐きそう笑

続きはまた書きます。
てか、文章力なさすぎてすみません。
接続詞とかほんとに分からない。

みなさんのnoteをみて勉強しますね✋
いいねやコメント本当にありがとうございます!


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