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最終段階こそ、在宅医療の良さがわかる③

 P さんは、 1 年半前に肺がんが発覚。がんとわかったときにはかなり病気が進行した状態で、手術はもちろん、抗がん剤治療も年齢的に難しいという判断になり、そのまま在宅で様子を見ていくことになりました。
 P さんは80 代の夫と、60 代の長女、30 代の孫と同居をしています。当クリニックで在宅医療を始めるときに、P さん自身がかなりお年であること、また大人が複数いる家庭ということで、基本的には看取りまで家で行いたい、という意思をP さん本人とご家族からお聞きしていました。

 P さんはここのところ、病状が進み、もともと小さい体がいっそう細くなっています。病変が肺に広がり、胸膜炎も合併していて胸や腹部の痛みも増しています。私たちは医療用麻薬を使った疼痛緩和を行い、P さんが少しでもラクに過ごせるように処置や看護を行うこととしました。
 併せて、最終段階の医療・ケアと看取りについての方針を再確認しました。P さんに病院で治療や緩和ケアを受けたいかどうかをお聞きすると、やはり「家にいたい」というご意見です。
 ご家族に対しては、残りの時間はおそらく2、3 週間前後になる見込みと説明して、「このまま本人のご希望のように、自宅でお看取りという方向で進めていいですか」と尋ねました。
 すると長女さんが「先生や看護師さんがいてくださるし、自分たちも家で見送れるようにやってみる」とのこと。
 私たちも、在宅看取りを進めるためにチームでサポートすることを約束。今後に予想される展開やP さんの体調変化などを説明すると、ご家族も真剣に聞き取りをされていました。

 それから、数日した夜。P さんが「せきをしたときに血を吐いた」という電話が長女さんからありました。
 肺がんの末期には少量の吐血や血痰が続くことがよくあります。それ自体は珍しいことではないのですが、長女さんはじめ、ご家族の不安が大きいと考え、お宅を訪問することにしました。
 P さんを診察し、長女さんとご家族に次のように説明をしました。「少量の出血が続いたり、血痰が出たりするのは肺がんの末期にはよくある症状です。それ自体が命を縮めるような症状ではありません。止血剤のお薬を出すこともできますが、それで止まるとは限らず、だらだらと出血が続くこともあります。
 お薬以外にできる対応としては、時々口の中をガーゼで拭い、血痰を取り除いてあげると、ご本人がさっぱりすると思います。それからベッドの角度で上体を少し高くし、あごを少し引く形にするだけでも、血液が口へ上ってきにくくなります。
 体の向きを左右にずらすなど、姿勢を変えるとラクになることもあります。P さんの様子を見ながら、やってみてあげてください」こうしたお話をしたところ、P さんのご家族は対応法がわかり、少し安心された様子です。

 その後もしばらくP さんの少量の出血は続きましたが、ご家族が慌てることなく看護をしてくださり、私たちチームと一緒になって在宅で看取りまでを実現されました。


【解説!】
出血や呼吸困難などがあると、家族は不安に

 それまで平穏に在宅療養をしてきた方でも、いわゆる終末期になると、思いがけない症状が起こることがあります。
 P さんの事例のように、肺がんの方では出血や血痰が続くことがあります。肺がんの末期では3 割ぐらいの方にみられる“よくある症状”の1つですが、初めてがんの終末期の方を看護するご家族は、やはり慌ててしまいます。

 そのほかにも、呼吸困難、全身倦怠感、意識の混濁といった症状が現れることもあります(上図参照)。
 在宅看取りの方針が決まったときには、これから起こり得る症状などについても説明はするのですが、実際に出血や、苦しんでいる患者さんを目の当たりにすると、ご家族はどうしても「怖い」と感じ、「家でこのまま看ていけるのか」と不安や緊張が高まります。

 私たちは、終末期にこうした連絡を受けたときは必ずお宅を訪問するようにしています。医師や看護師がお宅まで行き、顔を合わせてお話しすることがご家族にとって何より安心につながるからですが、訪問する理由はそれだけではありません。

 ご家族が患者さんに対して自分たちでしてあげられることを、できる限り具体的に伝えるようにしています。


家族が安心して見守れるように「できること」を指示

 例えばP さんのように出血が続くケースでは、病院であれば医師が止血剤を処方して終わりだと思います。また、在宅でも家族から電話があるたびに訪問看護師が急行し処置をする、という対応も考えられるかもしれません。
 しかし、その方法では医療従事者でなければ問題を解決できないことになり、医師や看護師がいない時間は、ご家族は不安や緊張がずっと続くことになります。それでは臨終までの期間を安心して見守ることはとてもできません。

 終末期に特有の症状が起き、患者さんが苦しそうにしているとき、一般のご家族が「自分たちにもしてあげられることがある」という感覚をもてることは、実はとても重要なことです。
 医師が行うような医療行為はできなくても、口を拭ってさっぱりさせてあげる、姿勢を変えてあげるといったケアは、ご家族にも十分に対応ができます。
 何もかも医療従事者まかせというのではなく、ほんの些細なことでも自分にもできることがあると知ると、ご家族は自信をもって看取りに向き合えるようになります。そして苦しいときに寄り添ったという経験が、家族の絆をより深いものにします。


【事例16で知ってほしいポイント】


● 終末期になると、出血や呼吸困難、意識障害、激しい痛みなどの深刻な症状が現れることがある。

● 在宅看取りを計画している家庭でも、終末期に思いがけない症状に遭遇すると「怖い」「家で看られるのか」と不安・緊張が高まることがある。

● 介護をする家族から、終末期の症状について連絡を受けたときは、お宅を訪問して安心していただくとともに家族ができる具体的な対処法・ケアを指導している。

● 何もかも医師・看護師が処置をするのがいいわけではない。ご家族が「自分にもしてあげられることがある」とわかると自信をもって看取りを進められる。

● 終末期の患者さんだけでなく、そばにいるご家族を支えることも、在宅医療チームの役割。

引用:
『事例でわかる! 家族のための「在宅医療」読本』
著者:内田貞輔(医療法人社団貞栄会 理事長)
発売日:2021年6月1日
出版社:幻冬舎