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在宅看取りが家族の絆を深める

 在宅看取りというのは、遺された家族が先に逝く人から「命を受け継ぐ」またとない貴重な経験です。
 在宅看取りをすることで、見送る人たちは、人間の自然な最期というものを実体験として知ることができます。また在宅療養から看取りまでの家庭は、家族の絆やかけがえのない命の大切さを、あらためて心の深いところで感じる機会でもあります。
 そのため、在宅看取りを終えたご家族というのは、別れの悲しみの中にあっても、例外なく達成感に満ちた誇らしい表情をされています。
 そういうシーンを経験するたびに、私は患者さんとご家族の”人生の充実”に貢献できる在宅医という仕事を選んでよかったと、心から思います。
 それではいかに、在宅看取りを経験されたご家族のエピソードを紹介しましょう。
 終末期に至る過程や看取りの状況は家族によってさまざまですが、具体的な経験者の声は、これから在宅医療や在宅看取りを検討しようというご家族にとって参考になることと思います。


【ケース①】75歳男性・Iさん 主たる病名:肺がん

肺がんの痛みにも、終末期の不安にも
ていねいに対応することで穏やかな看取りを実現

 Iさんは73歳で肺がんを発症。病院で抗がん剤などの治療を行ってきましたが思うような効果が得られず、化学療法の治療が一段落したところで、自宅での在宅診療も始めたいということで病院から紹介され、当院で診療開始となりました。
 訪問当初は日常生活もほとんど問題なくできており、自宅でお気に入りのソファーに座りながら生活を送っておられました。ご夫婦二人の生活で、奥さんとも非常に仲がよく、よく二人でコーヒーを飲んで過ごされていました。
 訪問を介してから3カ月ほど経過したあたりから、徐々にADL(日常生活動作)の低下を認め始めました。加えて食欲不振もあり、体の衰えをご本人も自覚したのか、診察の際にはだんだんこの先についての不安感を話すようになってきました。
 その当時は月に1回程度、かかりつけの総合病院の主治医のところにも通院しており、主治医と私との間でも、Iさんの状態の変化を情報提供書でやり取りしていました。しかし、通院が困難になってきていることや、ご本人に「自宅で穏やかな最期を迎えたい」という意思が強くあったことなどをふまえ、総合病院の主治医とご家族と相談した結果、総合病院への通院は極力控え、自宅での緩和医療を中心とした生活を送っていく方針に切り替えました。
 その後、徐々にがんの進行が認められ、呼吸苦や骨転移等が疑われる腰の痛みが現れてきました。呼吸苦に関しては在宅酸素療法を、痛みに関しては麻薬を使って痛み止めの調節を行いました。痛みは、がんの進行とともにだんだん強くなりましたが、内服薬から貼り薬、注射薬というように薬剤の種類や投与量、投与方法を調節し、ご家族の苦痛をできるだけ取るように努力しました。
 そして同時に私たちは、Iさんはもちろん、ご家族も含めて終末期の不安をいかに和らげるか、という点にも力を注ぎました。
 夫婦二人暮らしのIさんの場合、介護を担っている奥さんの不安や、介護疲れに対するサポートも非常に重要でした。経過中には、奥さんが痛みを訴えるご主人を見ているのが辛く「やっぱり病院に行きたい」と発言されたこともあります。また、夜間などに肺に水が溜まって苦しそうなご主人を見ていて、「不安でしかたがない」と訴えられたこともありました。
 こうした終末期に向かう人の心身の変化については、プロである私たちも、すべて対応できるわけではありません。しかし、最大限、奥さんのお話に耳を傾けて不安を受け止め、また今後何が起きてくるかをしっかりと話し合って、もう一度看取りの方針を確認するー。こうしたコミュニケーションを何度も何度も繰り返しました。
 そうしたことで奥さんの不安も薄れ、だんだんと「ご主人を自宅で看取る」という心構えが固まったと感じました。
 Iさんご夫妻には、遠方に住んでいる娘さんたちがいました。娘さんたちは、最初は疎遠でしたが、そうした経過を見るうちに徐々に話し合いにも参加してくれるようになり、最終的には、お父さんを看取るという目標に向け、家族が一丸となっていく様子が手にとるように伝わってきました。
 そして、Iさんが食事もほとんど受け付けなくなった最後の2週間ほどは、私たち医療スタッフも毎日のように訪問し、娘さんたちも交代で実家に泊まり込み、奥さんと一緒になって旅立つIさんに懸命に寄り添っておられました。結果的に家族が一つの絆で結ばれた、Iさんの希望通りのとても穏やかな最期となりました。私たちもあらためて、家族を在宅で看取ることの暖かさ、「命をつなぐ」とのの尊さを、経験させてもらったと思っています。

 このIさんの事例でいちばん印象に残っているのは、「最期まで自宅で過ごしたい」というご本人の希望、そして「自宅で見送ってあげたい」というご家族の希望を達成できた、ということです。
 また、総合病院の主治医との連携がうまくできたこともあります。退院前カンファレンスにて病院主治医が、自宅で過ごしたいというIさんの意思をしっかりと確認されていたこと、また状態が変化した際に、主治医との連携を密にすることができたため、自宅での看取りを行う際にもそれが強い助けになりました。
 在宅医療は「支える医療」です。
 厳密にいえば、在宅診療は病院での治療に比べ、できる医療行為が限られる面もあります。しかし、在宅という場で使える医療資源のなかで、どのようにしたら患者さんやご家族が、満足のいく生活や温かい終末期を過ごすことが出来るのか。そうした点を大事にして診療を行っていくことが大切なのだとあらためて実感しました。


【ケース②】80歳女性・Mさん 主たる病名:脳梗塞による重度後遺症

経管栄養などの医療行為をサポート。
葛藤を乗り越え、自宅で見送ることができた。

 Mさんは、70代に入って脳梗塞を2回起こし、寝たきりになってしまいました。食物の飲み込みも困難なことから、経管栄養、気管切開の状態で、療養型病院に長期入院されていました。入院期間が2年を過ぎた頃、病院主治医からご主人に在宅医療を始めてはどうかと話があり、Mさんの希望もふまえて退院し、自宅にて在宅診療の開始となりました。

 Mさんは療養型病院で経管栄養や気管切開をしていたため、自宅の介護では1日3回の経管栄養、気管切開内の痰吸引という医療行為が必要でした。
 病院から医療行為の指導を受けていた、ご主人と同居している独身の娘さんも、やはり毎日のことであるため、私が同席した退院前カンファレンスでは、ご家族の負担が多くなることを懸念されていました。そこで私たちはできる限り、介護をするMさんのご家族をサポートするように計画を考えました。
 具体的には、高齢のご主人と仕事をしている娘さんの負担軽減のために、自宅へのホームヘルパー訪問、訪問看護師を頻回に導入しました。そして家族が行う医療行為の手技の確認も定期的に行い、ご家族が「これでいいの?」と不安を感じる頻度を減らし、緊張感、負担感を解消することも心掛けました。また家族が心身を休める時間を持つため、ショートステイも定期的に利用しました。
 Mさんの場合、寝たきりだったため、褥瘡の予防も指導が必要でした。褥瘡のできやすい部位に圧力がかからないよう、クッションなどのグッズを使うことや、定期的な体位交換の方法などを、医師、看護師、ヘルパーで協力して指導しました。
 Mさんのご家族は、当初は在宅介護を始めて生活が変わり、戸惑ったり、疲れを感じたりしている様子も見受けられました。しかし、時間の経過にともない、少しずつ落ち着きを取り戻しました。ご主人は「在宅で世話する大変さもあるけれど、自宅に帰ってきたMさんが時折見せる穏やかな表情を見るのが嬉しいし、心温まる瞬間です」と話してくださっていました。

 在宅での療養を初めて10カ月ほどした頃、Mさんは臓器の機能が衰え、経管栄養も困難になってきました。そこで、点滴でとりあえず水分を補いながら、ご家族と看取りについて本格的な意思確認をすることにしました。
 臓器障害の場合、亡くなるまでの経過はがんと比べると明確ではありません。これまでも頑張ってきたのだし、何か手当をすればもう少し生きられるのではないかとご家族も考えてしまい、迷いが生じがちです。私たちはMさん宅に通いながら、ご家族の看取りの方針が決まるまで、何度なく話し合いを重ねました。
 そして、ようやく「在宅看取りをする」と意思が固まったあとは、私たちは頻回に訪問をし、Mさんの状況を見ながら、ご家族にも看取り指導を行っていきました。
 最終的には早春のある日、ご主人と娘さんをはじめ、集まったご家族に囲まれながら、Mさんは住み慣れたご自宅で穏やかに旅立たれました。

 このMさんの例で私は、医師や看護師など医療従事者が正しいと思って行うことが、必ずしも患者さんやご家族のためになっているとは限らない、とあらためて感じました。病院では「治す」ことが正しい場合が多く、医療従事者もそれを全うすべく頑張っています。しかし在宅の現場では、必ずしも病院で行うような医療が正解とは限りません。無理な治療は、むしろ患者さんの負担になってしまうこともありえます。
 また、私たち医療従事者は、患者さんの死を何例も経験しています。良い意味でも悪い意味でも、死に対して冷静で、ある程度患者さんの予後を予想できてしまうこともあります。
 しかし、患者さん本人にとっては、死の意味はまったく違います。それはたった1度、生まれて初めて遭遇する出来事です。またご家族にとっても、人生をともに生きてきた大切な家族との別れは、測りしれない重大な出来事なのです。
 Mさんのご家族の場合もそうでした。看取りをする、つまり死に向けての準備をすることを、当初はご家族がなかなか受け入れられませんでした。特に母親を見送る立場の娘さんは、看取りについて話す私たちに反発されたこともありますし、孤立感と悲しみに沈んでいる時期もありました。
 精神科医キュブラー・ロスは、人間が自分自身や身近な人の死を受け入れるまでには、心の中でさまざまに葛藤する一定のプロセスがあり、そのためには時間が必要だと説いています。その段階で、私たち医療従事者ができることは何かといえば、そのときどきの患者さん、ご家族の揺れる気持ちにきちんと耳を傾け、受け止めてあげることだけです。
 しかし、この死を受け入れる葛藤も含め、在宅で過ごした時間こそがご家族やご家族にとってかけがえのない貴重なものであることも、私は肌で感じました。医師として当たり前のことを行う。病気ではなくて、人を診るという初心を振り返ることができ、その後の私の在宅診療に強く影響を与えたのが、このMさんの診療の経験です。

 われわれ医師は最後の最後には、死にあらがうことはできません。けれども、医師として”人の痛みと優しさがわかる人間性”を忘れず、私は今後も診療に向き合っていきたいと考えています。

引用:
『1時間でわかる! 家族のための「在宅医療」読本』
著者:内田貞輔(医療法人社団貞栄会 理事長)
発売日:2017年11月2日
出版社:幻冬舎