将棋あれこれ アマチュア将棋指しの思うこと①

私がアマチュア「将棋指し」を名乗っていいかどうかはさておき、徒然と書き連ねてみようと思う。

最近は時間と気持ちに余裕が出てきたか将棋に時間をかけたいなーと思いつつ、駒を持つ手の重い日々が続いている。指しても強くならないと分かっているからか、学生時代から棋力が下がっている自分を認めたくないからか。とにかく最近はもっぱら指す将ではなく観る将化しているのが現実だ。

観る将という言葉自体が一般化して10年以上たっているだろうか。当初は中継サイトの棋譜中継とブログのみで、対象もタイトル戦や一部棋戦に限られていた。今では当たり前のように日々スマホで棋譜中継を観ることができるし、毎日のように対局の映像中継が行われている。もはやすべて追うのが不可能といったぐらいだが、将棋ファンには恵まれた環境になったなと思う。

映像中継といえば以前はほぼニコニコ生放送一強だったが、なんやかんやあって今ではABEMAがメインであり、サブ的にYoutubeもあるといったところか。ニコニコ生放送もそうだったが、ABEMAにはコンピュータ将棋(将棋ソフト)が指し示す評価値なるものが常に表示されている。今年からNHKにも同様のものが導入されたし、棋譜中継にも評価値を表示する機能が追加された。

このコンピュータ将棋の評価値、常時表示することについて、将棋ファンの間では様々な意見がある。「評価値があってどちらが勝っているか分かりやすい」「棋士が一手を指して評価値が大きく動くと興奮する」など肯定的な意見がある一方、「ひと目で有利不利が分かって興ざめである」「評価値が動くと『棋士がミスをした』と捉えるファンが多くていやだ」など否定的な意見もある。私は観戦しながら自分で局面の有利不利を考えるのが好きではあるし、コンピュータ将棋の評価値をみながら何も考えずに観るのも好きであるので、私はわりと中立的というかコウモリ的な立ち位置である。

将棋ファンの否定的な意見の方に注目すれば、以前は「読み」や「大局観」といった概念的で棋士の有する優れた能力であったものが、コンピュータが生み出す無機質な「XXX点」「〇〇%」といった単なる数値に置き換わっているようにみえて、それに対する拒否感があるのかもしれない。また「読み」「大局観」は将棋ファンが棋士に畏敬の念を抱く動機のひとつであるから、評価値によってそれらが否定され、棋士も否定され、将棋ファン自身もが否定されたような感情を抱くこともあるのかもしれない。

評価値だけで勝負それ自体を評価するのであれば、評価しているコンピュータ同士の対戦をみればいいのだが、現状はそうなっていない。その証拠にコンピュータ将棋同士の対戦は専用サイトで日々行われているが、どちらが勝った・負けたなどのニュースがネットやTVを賑わすことはまずない。将棋ファンが見たいのは結局のところ評価値なのではなく、ありふれた言い方ではあるが、「人間同士の戦い」ということなのだろう。

コンピュータ評価値で棋士の対局を評価してしまうこと、それ自体には賛否もあるしどちらの意見も理解できる。ただ、評価値の上下と対局者の表情やしぐさ、対局後の感想戦を見比べることで、「人間同士の戦い」をより楽しむ方法もあるのかなーとあれこれ考えながら、私もまた盤に向かおうかなとつらつらと思ったのであった。(了)

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