集う価値がある店「Chick Flick Bake Tokyo」【書きたくなる場所 08】
「Chick Flick Bake Tokyo」という場所
「東京を離れることになったから、会わない?」
とある友人に連絡をもらい、東長崎の "Chick Flick Bake Tokyo" で会うことになった。
通称「CFB」。よく二人で訪れては、ハンバーガーやらケーキやらを注文し、近況や最近考えていることを取りとめもなく話す。
いつの間にか夕方に……、なんてこともよくあった。
CFBはハンバーガーとケーキの店だ。アメリカンな量と味。
どれも絶品で、何度訪れてもどれにするか迷う。
この日私は、「プルドポーク(写真手前)」を注文した。
「プルドポーク」とは、豚の塊にじっくりを火を通し、細かく裂いて食べる北米の家庭料理だ。
ほろほろになるまで火を通した豚の上にたっぷりのチーズ。
スパイスの絶妙な塩味とお肉本来の甘さ。
全てが混ざり合ってどこから食べても美味しい。思い出すだけでお腹が鳴る。
友人はチーズたっぷりのハンバーガー「Mr.SANDERS(写真奥)」を注文した。
彼に「これ、ほんとに美味しいよ。」と言われ、私はしっかり迷った。
初めて知る勘違い
彼と初めて会ったのは、大学に入学したての頃だった。
たしか新入生向けの行事があった日だと思う。
大学の中庭で携帯をいじっていると、「すみません、東棟ってどこですか?」と、誰かが私に尋ねてきた。それが彼だった。その時私は『先輩だと思われてる…。』と思いつつ校舎を教え、これがきっかけで仲良くなった。
CFBで思い出話をしている時に初めて知ったのは、彼は私のことを男性だと思って話しかけたということだった。確かに私は背が高く、ショートカットだった。
彼が私のことを【先輩】そして【男性】だと勘違いしていなければ、この出会いはなかったのかもしれないと思うと、少し面白い。
「集う」行為の価値
しばらくたわいもない話をして、大学時代の友人の話になった。
所謂ブラック企業を辞めて転職した友人のタフさについて。
アーティストとして活動している友人の活躍について。
しばらく顔を見てない友人の行方について。
今思えばカオスだが、当時はみんな、大学構内にあるコンビニの前に意味もなく集っては、本当にくだらない話をいつまでも話し続けていた。
『集う』という行為の一般的な意義は、自分の居場所をつくること、もしくは自分の居場所を再確認すること、とされているのかもしれない。
しかし時には、集うことで争い、集うことでより豊かになる。
「わかってくれよ」と思いつつ、お互いに許容して、深くなっていく。
そうしてとある個人の世界が果てしなく広がっていく。
私はトライブをつくることを目的としていない "異文化交流"としての『集い』が好きだ。
Chick Flick Bake Tokyoという店にも異文化交流的な『集い』の側面がある。美味しい料理を食べに行く以上の価値が眠っていると言っても過言ではない。お店に通い始めて4~5年経つが、ここで生まれたご縁が私の生活を彩っているということは確かである。
ここで、東京を離れる友人に思いを馳せていると、無性にこの気持ちや考えていることを書きたくなった。
今月、友人は東京を離れる。
もちろん寂しい。でも、それ以上にお互いのこれからが楽しみだ。
次はどこで会うのか、どんな話をするのか見当もつかないが、きっと「いつもの」距離感で、言葉で、話すだろう。
それまで、どうか元気でいてほしい。
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櫟村 透美|喫茶手紙寺分室 ライター
喫茶手紙寺分室想いの掛け合わせによって生まれるものや粋な人々に魅力を感じる。書道をしていたので書く行為そのものが好き。大切な手紙を書きたいときは便箋からデザインする。Smiles: Project&Company 所属。